中世哲学

ページ内にはアフィリエイトを利用したリンクが含まれています。

目次

中世哲学とは?

中世のヨーロッパでは、380年にローマ帝国がキリスト教を国教とした。

そのことに象徴されるように、キリスト教の勢力と影響力が増し、キリスト教の司教といった有力者たちが「神」を〝出発点〟とした哲学を展開した

こうした特徴を持つ哲学は、4世紀から14世紀もしくは15世紀まで続き、「中世哲学」として区分される。

さらに、中世哲学は、「教父哲学」(patristic philosophy)と「スコラ哲学」(scholasticism)に大別される。

教父哲学

「教父哲学」の「教父」(パトレス)というのは、「教会の父」のことである。

初期のキリスト教は、激しい論争を繰り広げた異宗教に対して、キリスト教(教会)が論理的・理論体系的に優れていることを示す必要に迫られていた。

そうした時期にキリスト教を理論的に守った信仰者に対して、のちに「教父」という呼び名が与えられたのである。

「教父」と呼ばれるには、以下の4つの条件を満たしていることが必要とされた。

  • 古代性を備えている(2世紀から8世紀くらいまでの人物であること)
  • 正統的な教義に属している
  • 生活が聖なるものである
  • 後世の教会に言説が引用されている人物である

教父は、何の言語を用いて著作を著したかによって、「ギリシア教父」「ラテン教父」「シリア教父」「コプト教父」というように区別される。

このうち、ギリシア語で著作を著した教父と、ラテン語で著作を著した教父が、他の言語を用いた教父よりも圧倒的に多く、また、キリスト教会の歴史に大きな影響を与えたため、教会は「ギリシア教父」と「ラテン教父」を特に重視した

こうした教父たちは、それまでの哲学者の説とキリスト教の教えとのあいだにどのような関係があるかという問題に関心を持っていた。

そして、キリスト教を哲学として体系化し、キリスト教の教義を確立しようと尽くしたのである。

(ニュッサの)グレゴリオス

ニュッサのグレゴリオス(Gregorios Nyssa、335頃-394)は、4世紀のキリスト教神学者で、代表的なギリシア教父である。

ペルシア(現イラン)に生まれ、372年からニュッサ(現トルコ中央部)の主教を務めた。

グレゴリオスは、ギリシア語で数々の著作を著したが、主著は『モーゼの生涯』である。

この『モーゼの生涯』のなかで、グレゴリオスは、およそ次のように語っている――

すべてのものは、ある状態から別の状態へと絶えず生成変化している。
この生成変化は、よりよい状態へ向かうか、より悪い状態へ向かうかのどちらかである。
同じことは、われわれ人間についても言える。
われわれが何かを行なうとき、そこには新たな状態が生じる。
それゆえ、われわれはみな、新たに生じる状態の父だと言える。
この新たな状態を生み出すのは、個人の選択=「プロアイレシス」である。
つまり、個人の選択は、わずかながらであったとしても、世界の状態を、よりよい状態か、より悪い状態のどちらかへと変える力を持っていると言えるのである。

このように、グレゴリオスは、よりよい状態へ向かう(神の創造に協力する)選択をする決断こそが人間にとって重要だと考えた

そうした選択を積み重ねることによってグレゴリウスが到達しようとしていたのは、神の恩寵(おんちょう)に満たされ、〝神の友〟になるという状態であった。

〝神の友〟になる状態というのは、神に対してすべてを語ることができる「パレーシア」の状態のことである。

あるいは、個人として神と語り合う「エクスタシス」の状態のことである。

魂が肉体から解放され、自己を忘れて神と1つになるエクスタシスの状態を目指した新プラトン主義者のプロティノスと比較すると、(1)神と語り合う状態を目指したこと、(2)さらにその際、同じエクスタシスを目指しながらも、自己を忘れるのではなく逆に個人(個的人格)は生きていると考えた点に、グレゴリウスの哲学の独自性が見出される

アウグスティヌス

照明説

ギリシア教父の代表が(ニュッサの)グレゴリウスであれば、ラテン教父の代表は、ローマ領北アフリカ(現アルジェリア)・タガステ生まれのアウグスティヌス(Augustinus、354?430)である。

アウグスティヌスは、数多くの著作を著した。

代表的なものには、初期では、『アカデメイア派駁論』『幸福な生活』『秩序論』『ソリロキア(独語録)』『魂の不滅論』『自由意志論』『真の宗教』などがあり、後期では、『告白』『三位一体論』『神の国』『恩寵と自由意志について』などがある。

アウグスティヌスが31歳のときに著したとされる『ソリロキア』は、アウグスティヌス自身と理性が対話する内容だが、そのなかでアウグスティヌスは、〝おまえが知りたいものは何か?〟と理性に尋ねられ、〝神と魂だけだ〟と答えている。

つまり、アウグスティヌスの哲学は、神と魂の関連をどのように考えるかをめぐって展開されているのである。

アウグスティヌスは、神と魂の関連について考えるにあたって、人間の認識を出発点とした。

アウグスティヌスによれば、意識は何かについて疑うことがあるが、疑うという意識の営み自体は、自己においてありありとした実感を伴うため、自己自身が存在すると確かに言うことができる。

それでは、何かを疑うとき、どのようにして疑っているかというと、自己の内になんらかの〝真理〟が規準としてあり、それに照らし合わせて疑っている。

この自己の内にある〝真理〟は永遠不変であり、永遠不変の真理は、事物が太陽の光に照らされて認識されるように、神の光に照らされてはじめて認識される。

つまり、人間は、神の光の照明によって永遠不変の真理を認識し、その真理と照らし合わせることによって事物が何であるかを判断するのである。

こうしたアウグスティヌスの考え方を「照明説」と呼ぶ。

神と魂が関連していることを確信し、自己が神への信仰の基盤として確実に存在することを見出したアウグスティヌスは、次に、そうした自己を通して神について考察し、いくつかの重要な論を展開した。

時間論

時間は過去、現在、未来に分けられるが、過去はすでに過ぎ去ったものとして存在せず、未来はまだやって来ないものとして存在しない。

実は、過去は記憶、現在は直観(直視)、未来は期待として、それぞれ意識のなかにある。

そして、過去の記憶を思い起こすのは現在の自己であり、また、未来に何かを期待するのも現在の自己である。

つまり、時間とは、人間の外部にある客観的な存在ではなく、人間の意識のなかに存在するものであり、その人間は神によって創造されたのだから、時間もまた神によって創造されたものだと言うことができる。

歴史哲学

410年、キリスト教の中心地であったローマが、異教徒のゴート族によって略奪されるという事件が起きた。

このときゴート族は、ローマの人びとに対して、〝神を捨てた報いだ〟と言ったという。

この事件をキリスト教徒はどう考えればいいのか?

その〝答え〟としてアウグスティヌスが著したのが、『神の国』だとされる。

神の国』によると、人類の歴史というのは、地上の国に遣わされ、神を想い、平和を愛し、優しさと誠実さをもって生きる人びとが住む神の国と、快楽や権力、自己の利益などを求めて生きる人びとが住む地上の国との争いである。

その争いの結果、あるときは一方が勝ち、あるときはもう一方が勝つという状況が生じる。

しかし、最終的には、最後の審判によって2つの国は分断され、神の国の住人は永遠の平安を得る。

一方、地上の国の住人は地獄に落とされる。

つまり、アウグスティヌスは、ゴート族の勝利によるキリスト教徒の苦難は永遠なる神の視点から考える必要があり、キリスト教徒は地上に生きているとしても神の国の住人でなければならないと唱えたのである。

こうしたアウグスティヌスの考え方は、西洋哲学史上初の歴史哲学として評価されている

自由意志論

アウグスティヌスは、『告白』において、自分自身が若いころに情欲に負けたり盗みをしたりしたことを包み隠さず〝告白〟している。

つまり、アウグスティヌスにとって、悪や罪は、過去の自分が犯したこともある切実な問題であった。

そのため、アウグスティヌスは、この問題を『自由意志論』において、〝なぜ人間は悪をなす=罪を犯すのか?〟という問いとして取り上げている。

この問いに対し、アウグスティヌスは、まず、〝悪をこうむる〟=〝罰を受ける〟場合の悪は神が原因だが、〝悪を行なう〟場合の悪は神が原因だとは考えられず、それは人間の自由意志が原因だと考えた。

つまり、人間は本来、精神の内にある理性によって欲情を支配しなければいけないが、自由意志は精神を欲情の支配下に置いてしまい、そのために悪を行なうというのだ。

それでは、なぜ神はそのような自由意志を人間に与えたのか?

アウグスティヌスによれば、実は自由意志は、悪の原因である一方で、正しい行ないをするためにも必要な「中間善」であり、そのどちらのために自由意志を用いるかは人間自身にあるのだという。

しかし、そうは言っても、人間は原罪を負っているため、正しい行ないのために自由意志を用いることが自分だけの力ではどうしてもできない。

こうした状況を回復し、自由意志が正しい行ないをすることを可能にするのが、神の愛=「恩寵」(おんちょう)である。

つまり、人間は神の恩寵があってはじめて正しい行ない=善ができるようになる。

そして、信仰によってもたらされる恩寵があってこそ、人間は原罪を着せられる前のアダムと同じ状態に還(かえ)ることができるとアウグスティヌスは考えたのである。

(カンタベリーの)アンセルムス

476年に西ローマ帝国が崩壊したあと、西ヨーロッパの統一を果たしたのが、フランク王国のカール大帝(在位768-814)である。

そのカール大帝は、ローマ帝国が滅んだあと、荒廃した学芸を復興するため、主にローマ教会や修道院に附属する学校(スコラ)の修道士たちに学芸を奨励した

この学芸復興運動を「カロリング・ルネサンス」と呼ぶが、これが「スコラ哲学」の出発点となった。

「スコラ哲学」は9世紀から15世紀にわたって展開されたが、教父たちによって確立されたキリスト教の教義と、古代ギリシア哲学から続く理性とをいかにして調和させるかが課題であった。

そうしたなか、1093年から1109年までカンタベリー大司教を務めたアンセルムス(Anselmus、1033-1109)は、教会の正統的な信仰に依拠しつつ、神を理性によって捉えようと試みた。

アンセルムスが行なったのは、「神の存在証明」であった。

アンセルムスの著作の1つである『プロスロギオン』によれば、まず、〝神とは、それ以上大きなものを考えられない存在〟であると定義される。

次に、何かが人間の理性の内にあるだけではなく、理性の外にもあるとすれば、そちらのほうがより大きいと言える。

しかし、もしもそのような存在が理性の内にあるだけで、現実には存在しないとすれば、〝それ以上大きなものを考えられない〟という定義と矛盾する。

だから、神は理性の内にだけでなく、現実にも存在すると言えるのだという。

アンセルムスの「神の存在証明」は、その後、デカルトカントなど後世の哲学者たちに大きな影響を与えた。

なお、アンセルムスは、スコラ哲学を興隆に導いたとして、「スコラ哲学の父」と呼ばれている。

普遍論争

私たちは、この世界のなかのさまざまなモノ=個物を、個物のあいだに共通する特徴ごとに、〝動物〟とか〝人間〟とか〝日本人〟というように「種」や「類」に分類する。

こうした「種」や「類」を「普遍」と呼ぶが、スコラ哲学においては、〝普遍は実際に存在するのか、それとも知性がつくりあげたものにすぎないのか?〟という問いをめぐって大きな論争が行なわれた。

それが「普遍論争」である。

「普遍論争」を行なった哲学者たちの立場は、「実在論」(実念論、realism)と「唯名論」(ゆいめいろん:nominalism)に大別される。

まず、「実在論」は、普遍が個物に先立って実在し(「ものの前なる普遍」)、個物は普遍のあとに成り立つと主張する立場である。

たとえば山田一郎、鈴木花子、佐藤次郎という3人がいたとすると、彼らは〝人間〟という普遍で括(くく)ることができる。

このとき、〝人間〟という普遍そのものが3人に先立って実在すると主張するのが「実在論」である。

スコトゥス・エリウゲナ(810頃-877以降)や(カンタベリーの)アンセルムス(1033-1109)などが、「実在論」の代表に挙げられる。

一方、「唯名論」は、普遍は人間がつくり上げた個物の〝後ろ〟の名前(「ものの後なる普遍」)にしかすぎず、それ自体として実在するものではないと主張する立場である。

先の例で言えば、〝人間〟という普遍は名前だけのものであり、実在するのはただ山田一郎や鈴木花子といった個物だけであると主張するのが「唯名論」である。

ロスケリヌス(1050頃-1125頃)やウィリアム・オッカムなどが、「唯名論」の代表である。

この他、普遍は個物と別個に存在するのではなく、それぞれの個物のなかに実在し(「ものの内なる普遍」)、思考によって心の内に概念として表れると主張する立場もある。

この立場は、「実在論」と「唯名論」を調停する第3の立場として「概念論」(conceptualism)と呼ばれることもあり、その場合、アベラール(1079-1142)が代表とされる。

トマス・アクィナス

生涯と著作

トマス・アクィナス(Thomas Aquinas、1225頃-1274)は、中世最大のスコラ哲学者だと言われる。

トマス・アクィナスは、イタリアのナポリ地方に生まれ、ナポリ大学で学んだ。

そして、ドミニコ会のメンバーとなり、ケルン(現ドイツ)でアルベルトゥス・マグヌスから教えを受け、1252年からはパリやイタリア各地の大学で教鞭(きょうべん)をとった。

しかし、ローマ教皇グレゴリウス10世から招かれ、ナポリからリヨン公会議へ赴(おもむ)く途中、ローマ南部で健康を害し、そのまま世を去った。

トマス・アクィナスは、この間、アリストテレスの『形而上学』や『ニコマコス倫理学』を注釈し、さらに、『存るものと本質について』『異教徒を論駁(ろんばく)する大全』『神学大全』といった著作を著している。

こうした著作によってトマス・アクィナスが行なおうとしたのは、ヨーロッパではなくイスラーム世界に受け継がれていたアリストテレスの哲学を本格的に導入・解釈し、キリスト教の教義と調和させることであった。

神学と哲学の関係

トマス・アクィナスは、『神学大全』のなかで、神学と哲学の関係について論じている。

トマス・アクィナスによれば、学問は2種類に分けられるという。

1つは、数学や幾何学のように、自明の原理から出発する学問で、もう1つは、幾何学にもとづく光学のように、上位の(学問の)原理にもとづく学問である。

それでは神学はどちらの学問かと言えば、神の啓示にもとづく学問であるので、上位の原理にもとづく学問だとされる。

つまり、神学は、徹頭徹尾(てっとうてつび)、神の言葉を宣べ伝えている聖書を解釈する学問なのである。

それでは、哲学はどういう学問であるのか?

それは「神学の婢(はしため)」であるとトマス・アクィナスは言う。

つまり、哲学は、神学の下位に位置づけられる学問であり、神学の範囲を越え出ることはできないのだという。

このように考えたトマス・アクィナスは、哲学というのは「自然の光」=理性による自立的な営みによって哲学的な真理(形而上学的な原理)に到達することはかまわないが、その真理はあくまでも人びとを神の恩寵に導くためのものでなければならず、哲学的な真理は自然を超越した宗教的な真理によって完成されるのだとした。

このように、哲学的真理と宗教的真理を区別して捉えるトマス・アクィナスの考え方を「二重真理説」と呼ぶ。

神の存在証明

トマス・アクィナスは、『神学大全』の第1部第2問題第3項において、〝神は存在するか?〟という問いを発している。

この問いに対し、トマス・アクィナスは、まず、〝神は存在しない〟という反論について吟味することから「神の存在証明」を始めている――

もしも対立するものの一方が無限であるとすれば、もう一方のものは完全に追いやられるはずだ。
それゆえ、無限な善であるはずの神が存在するならば、この世の悪は追いやられるはずだ。
しかし、この世には悪が見出される。
したがって、神は存在しない。

トマス・アクィナスは、さらに、反論について吟味を進める――

世界のなかに存在するものは、自然のものであれば自然の本性という原因にさかのぼって説明することができる。
また、計画や自由裁量にもとづくものは、人間の理性や意志という原因にさかのぼって説明することができる。
したがって、神が存在すると考える必要はない。

こうした吟味ができるにもかかわらず、聖書の『出エジプト記』には、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(3章14節)という神自身の言葉があると、トマス・アクィナスは言う。

いったい神は存在するのか?

それとも、存在しないのか?

トマス・アクィナスは、上記2つの反論への〝答え〟を導くにあたって、まず、アリストテレスの哲学を援用しながら、神が〝存在〟することを下記の5つの方法によって理性的に〝証明〟した。

第1の方法:運動変化による証明

世界には、運動変化がある。
運動変化するものは、すべて他のものによって動かされている。
そして、その運動の原因となるものも、何か他のものによって動かされている。
このように運動変化の原因をさかのぼっていけば、最終的には、他のものによって動かされたのではない、最初に動かしたものがなければならない。
それは、人びとが神だと理解しているものである。

第2の方法:始動因による証明

始動因とは〝ものの変化または静止を起こす原因となるもの〟のことであるが、あるものが自分自身の始動因になることはありえない。
なぜなら、自分自身がみずからの始動因であるならば、自分が自分自身に先立って存在しなければならなくなるからだ。
一方、始動因はすべて順序立っており、最初の始動因が、複数あるであろう中間の始動因の原因であり,中間の始動因が最後の始動因の原因である。
つまり、始動因には必ず〝最初の始動因〟が存在するのであり、これを人びとは神と呼ぶのである。

第3の方法:可能性(偶発性)と必然性による証明

事物のなかには〝存在することも存在しないことも可能なもの〟=〝たまたま偶然に存在するもの〟があるが、そうした偶発的なものが存在するのには原因がある。
この原因をさかのぼっていくと、存在することが必然であるものの存在を認めなければならない。
そうした存在は、存在することが必然だから存在しているのであり、必然性の原因は他によるものではなく自分自身の内にしかない。
人びとは、そうした存在を神と呼ぶのである。

第4の方法:段階と完全性による証明

ものの質は、一方より他方のほうがより高い。
たとえば、大理石でつくられた2つの彫像があるとすると、どちらか一方の彫像のほうが、もう一方の彫像よりも美しいはずである。
こうした判断が可能なのは、美や知恵など、あらゆるものの質の段階を判断するための規準があるからであり、そうした規準は最高の完全性を持っていなければならない。
そして、そうした最高の完全性は、神に含まれていると考えるしかないのである。

第5の方法:世界秩序の存在による証明

物体には知性がないが、その物体はなんらかの目的へ向かって動いているように見える。
目的へ向かうのは、そこになんらかの意図が働いているからである。
矢が射手によって的へ向かって放たれるときのことを考えればわかるように、知性を持たない物体は、認識と知性を備えたなんらかの存在によって方向を与えられなければ、目的へ向かうことができない。
それゆえ、すべての自然物を目的へと向かわせる、知性を備えた何かが存在していると言える。
そうした存在を、人びとは神と呼ぶのである。

トマス・アクィナスは、こうした〝証明〟をしたうえで、上記2つの反論への〝答え〟を導いている――

〝この世には悪が見出されるから神は存在しない〟という反論への答え

アウグスティヌスは、『提要』において、「神は最高度に善であるから、もしも神が悪からでさえも善を造り出すほどに全能かつ善でなかったならば、いかなるものであろうと、なんらかの悪がみずからの業のうちに存在することを許さなかったであろう」 と述べている。
したがって、悪が存在することを許し、悪から善を引き出すことは、 神の無限の善性に属している。

〝あらゆるものは神にまで原因を求めなくても説明できるから神が存在する必要はない〟という反論への答え

目的へ向けて自然が働くのは、なんらかの上位の作用者によって方向づけられたものであるから、自然によって生じるものが第一原因である神に還元されることは必然である。
同じように、計画や自由裁量によって生じるものも、人間の理性や意志ではない、なんらかのより高い原因に還元されなければならない。
なぜなら、 人間の理性や意志は変化しやすく欠陥がありえるものであり、さらに、可動的で欠陥がありえるものはすべて、不動な、それ自身によって必然的であるなんらかの第一原因にまで還元されなければならないからである。

このようにして、トマス・アクィナスは、神の存在を〝証明〟したのだった。

しかし、トマス・アクィナスの哲学にとって、神とは存在することは〝証明〟できても、その本質を明らかにすることはできない存在であった。

つまり、神の本質を知るには神学=信仰によるしかなく、そのため、哲学(哲学的真理)は神学(宗教的真理)によってはじめて完成されるのであった。

存在の類比

トマス・アクィナスは、神が存在することを哲学的に〝証明〟したが、神の存在のしかたは、人間や個物が存在するしかたとは異なると考えた

つまり、被造物に対して〝存在する〟というときの存在と、神に対して〝存在する〟というときの存在では、同じ〝存在〟という言葉を使ってはいても、存在のあり方が異なると考えたのである。

そこで、トマス・アクィナスは、人間や個物の存在と神の存在との関係を「類比」の関係を通して明らかにしようとした。

たとえば、椅子(いす)を例に挙げると、床や地面に安定して接地させるために下方へ伸ばされた(ふつうは4本の)細長い支柱を〝椅子の脚〟と言うが、これは、人間や動物の脚と完全に同じ意味で使われているわけではない。

あくまでも、人間や動物の脚と身体の関係を、椅子の支柱と本体の関係へ〝類比的に〟当てはめて表現しているにすぎない。

これと同じことが存在についても言えると、トマス・アクィナスは考えた。

つまり、われわれが神について考えるとき、人間の本質と存在の関係を、神の本質と存在の関係に〝類比的に〟当てはめているのである。

もっとも、神は、人間が存在するように存在しているわけではない。

人間は神の被造物で有限なのであるから、神の本質は人間の本質と存在を合わせたものより大きく、神の存在は人間や個物という存在にくらべてはるかに巨大なはずである。

また、神は、「存在することをその本質とするもの」なのだから、人間や個物のように本質と存在を区別できないと、トマス・アクィナスは考えた。

こうしたトマス・アクィナスの考え方を「存在の類比」と呼ぶ。

なお、神と被造物では存在のあり方が違うという考え方をすると、〝存在〟という言葉に複数の意味を与えることになる。

さらに、神の存在が人間や個物という存在にくらべてはるかに巨大だとすると、神は感覚によってはもちろんのこと、思考(知性)によっても認識できないことになる。

以上の2点は、のちに見るドゥンス・スコトゥスによって批判された。

『対異教徒大全』

トマス・アクィナスの著作の1つに、『異教徒を論駁(ろんばく)する大全』(『対異教徒大全』:スンマ・コントラ・ジエンティレス)がある。

この『対異教徒大全』は、トマス・アクィナスの哲学を理解するうえで『神学大全』と同じくらい重要な著作だと位置づけられる。

『異教徒を論駁する大全』(『対異教徒大全』)は、その書名が示すように、異教徒(イスラームなど)を論破し、改宗させる目的で著されたと言われている。

しかし、本書の目的はそれだけではなく、「自然の光」=理性によってキリスト教の教義を考察しなおす点にもあった。

そして、その考察のプロセスにおいて、トマス・アクィナスは、豊かな知的営みを展開しているのである。

第1巻

トマス・アクィナスは『対異教徒大全』の第1巻において、神をテーマにしている。

そして、神について考察するにあたって、まず、知恵を取り上げる。

たとえば、何かをつくるとき、その何かをつくる方法を知っていなければつくることができない。

つまり、何かをつくるには、目的にいたる手段を知っていることが必要である。

ここから、知るということは、目的と手段の連関において事象を捉えることだと言える。

目的と手段の連関において事象を捉える対象のうち最大のものは、宇宙である。

それゆえ、知恵の探究の究極は、宇宙の秩序を探究することを通して、万物を知恵をもって創造した神に近づくということになる。

トマス・アクィナスは、別の箇所で、理性を取り上げる。

自分はカトリックの教義を明確にするという目的を「自然の光」=理性によって進める。

なぜなら、異教徒たちは、聖書の権威を認めないため、聖書の権威によって論を進めることができないからである。

しかし、理性によって論証できることには限界がある。

つまり、理性は、神の存在や魂の不死を論証することはできても、三位一体や受肉、最後の審判は論証できない。

理性は有限であるが、しかし、理性は神の恩寵によって完成される。

ちなみに、トマス・アクィナスによれば、神の本質は、理性によっては否定を通してしか知ることができないという。

たとえば、神が永遠であるのは神が動かされ〝ない〟からである、神が不変であるのは神が可能性を含んで〝いない〟からである……というようにである。

第2巻

『対異教徒大全』の第2巻のテーマは、人間の魂である。

トマス・アクィナスによれば、魂は肉体の「形相」である。

そして、魂は、肉体とともに、神によって常に息を吹き込まれている=新しく創造されているとされる。

つまり、神は、歴史を通じて常に創造している存在なのだとトマス・アクィナスは考えたと言える。

第3巻、第4巻

『対異教徒大全』の第3巻のテーマは、倫理である。

トマス・アクィナスによれば、人間の幸福は肉体的な快楽や名誉などを求めることにあるのではもちろんないが、徳にかなう行為すらも実は究極の幸福ではないという。

徳にかなう行為は、神にいたるための手段にすぎない。

真の幸福は、神を「観想」することにある。

しかし、神の観想は、この世において果たすことはできない。

神の御許(みもと)へ行かなければ果たすことができないとされた。

つまり、トマス・アクィナスは、永遠の生命を得なければ真の幸福は求められないと考えたと言える。

トマス・アクィナスは、続く第4巻において、啓示がなければ幸福はありえないとし、三位一体論や受肉、秘蹟(ひせき)、復活といった神学上の問題を論じている。

このように、トマス・アクィナスは、哲学によってキリスト教の教義を再考したのであった。

ドゥンス・スコトゥス

存在の一義性

トマス・アクィナスによってアリストテレスの哲学を援用したスコラ哲学は体系化されたが、トマス・アクィナスの死後、その哲学を批判する者たちが現れた。

その1人が、ドゥンス・スコトゥス(Duns Scotus、1265/66-1308)である。

フランシスコ会の修道士であったドゥンス・スコトゥスは、まず、神を認識することに対するトマス・アクィナスの考え方に異議を唱えた。

トマス・アクィナスによれば、人間の認識は経験を通して得られる材料にもとづいており、神を認識することも経験にもとづくとされる。

しかし、人間の認識は有限であるため、それでは完全な存在である神を認識することはできない。

そこでドゥンス・スコトゥスは、この問題を克服するために、人間の感覚的な認識について見直すことから始めた。

たとえば、一歩家の外に出れば、さまざまな木や花を目にすることができるが、われわれはどうして、木や花を見て、それが木や花だと認識することができるのか?

それは、木や花をたんに視覚的に認識しているだけではなく、〝木一般〟〝花一般〟という普遍的な概念をも認識しているからではないか?

そうでなければ、木を見ても、たんに緑色の葉や茶色い幹の集合体にしか見えないし、花を見ても、色とりどりの花びらと茎(くき)の集合体ぐらいにしか見えないはずだ。

ということは、人が感覚によって認識するとき、すでにそこに普遍的な概念が備わっているのである。

普遍的な概念は言葉や思考(知性)の力によってもたらされるが、数ある普遍的な概念のうちで頂点に君臨するのは〝存在〟の概念である。

つまり、〝存在〟の概念においては、木も花も人間も神も同じように(一義的に)認識することができるのである。

これが、ドゥンス・スコトゥスにおける「存在の一義性」である。

こうして、ドゥンス・スコトゥスは、トマス・アクィナスによって別種の〝存在〟だとされた神と被造物とを同列の〝存在〟にし、人間が神を認識する道を拓いた

このもの性

次にドゥンス・スコトゥスが行なったのは、哲学の領域から閉め出されていた個物そのものについて考察することであった。

たとえば、アリストテレスの哲学においては、真の存在は個物だとされたが、そこで注目されたのは、個物そのものではなく、個物を構成している「形相」と「質料」、とりわけ「形相」であった。

そのため、目の前にいる人の〝背後〟にある〝人間一般〟(人類)といった普遍的な概念が重視され、目の前にいる人そのもの=個物は哲学の領域から閉め出されてしまった。

つまり、個物は、たんに感覚によって認識されるだけの存在になり、知性によって認識される根拠を失ってしまっていたのである。

しかし、それでは、キリスト教において、それぞれの人間は神を認識しようとする一方、神は1人1人の人間を認識できないという困った事態になる。

これに対して、ドゥンス・スコトゥスは、個人や個物には、〝人間一般〟や〝○○一般〟といった「種」=普遍的な概念が備わっているだけでなく、それぞれの個人や個物を〝その人自体〟や〝その物自体〟にさせている普遍的な性質が備わっていると考えた。

たとえば、ソクラテスプラトンのような個人としての人間には、人間(人類)という「種」=普遍的な概念が備わっているだけでなく、〝ソクラテス性〟や〝プラトン性〟とでも呼ぶことができるような普遍的な個体性=「このもの性」が備わっていると考えたのである。

つまり、ソクラテスという個人には、〝人間一般〟という普遍的な概念と、他の個人とは違うソクラテス独自の「このもの性」とが備わっているということだ。

そして、「このもの性」は、知性によって把握できるとした。

ドゥンス・スコトゥスは、こうした性質を想定することにより、個物そのものを哲学の対象に含み込んだ。

その結果、その後の哲学は、世界に存在するさまざまな個物に関心を寄せるようになっていったのである。

ウィリアム・オッカム

新しい道

ドゥンス・スコトゥスによって普遍的な概念が「このもの性」として個物にも認められ、個物が哲学の対象に含まれるようになると、普遍論争の行方は一気に唯名論へと傾いていった。

その唯名論を究極まで押し進めたのが、イングランド出身のフランシスコ会修道士ウィリアム・オッカム(William of Occam、1285頃-1347/49)である。

ちなみに、「オッカム」とは、もともと彼が生まれた村の名前で、その村の名がそのまま彼の名前となった。

そのため、「オッカムのウィリアム」と呼ばれることもある。

さて、ウィリアム・オッカムによれば、個物同士にはあらかじめ与えられた共通点など何もなく、ドゥンス・スコトゥスが唱えたような「このもの性」すらない。

人間にできるのは、ただ個物を個別に知覚する直観的な認識だけである。

それでは、なぜ人間は、個物のあいだに〝木〟や〝花〟といった共通項(種)を見出すことができるのか?

今、目の前に1本の木があるとすると、それを見た人は〝ここに1本の細長く高い植物がある〟と認識し、その認識が「習得知」という観念として残る。

その人が、また別の場所で別の木を目にすると、〝ここにも1本の細長く高い植物がある〟と認識するが、このとき「習得知」の観念と類似していることを見出して、両者に共通した〝木〟という普遍的な概念が形成される。

つまり、人間は、あらかじめ存在する〝木〟という普遍的な概念によって目の前の木を〝木である〟と認識するのではなく、あくまでも複数の「習得知」に見出される共通項に〝木〟という名前を与えているにすぎないのである。

このように考えたウィリアム・オッカムにとって、これまで普遍的な概念と呼ばれてきたものは、プラトンのイデアやアリストテレスの形相などのような存在では決してなく、ただ人間の認識作用における記号にすぎないのであった。

そして、中世哲学の末期に唱えられたこうした新しい思潮は、従来のスコラ哲学=「旧(ふる)い道」に対して「新しい道」と呼ばれた。

オッカムの剃刀

感覚にもとづく個物の直感的な認識によって自然=世界を捉えようとする「新しい道」を切り拓いたウィリアム・オッカムは、「旧い道」において自明とされていた普遍的な存在=実体を認めず、「存在は必要がなく、増やしてはならない」「より少ないもので成立するものを、多くのものによって成立させるのは無駄である」というような「(思考)節約の原理」と呼ばれる考え方を唱えた。

つまり、これは、なんらかの現象や事柄を説明するにあたっては、必要以上の仮定や前提はせず、できるだけシンプルにするという考え方である。

なぜなら、ウィリアム・オッカムによれば、〝説明はシンプルであるほうが優れている〟からである。

そのため、ウィリアム・オッカムは、〝不必要〟だと思われる実体を、まるで剃刀(かみそり)で削(そ)ぎ落としていくように説明から切り捨てていった。

こうした「節約の原理」にもとづくウィリアム・オッカムの手法は、「オッカムの剃刀」とも呼ばれる。

信仰(神学)と理性(哲学)の分離

「オッカムの剃刀」は、自然=世界の説明から神を切り離し、信仰(神学)と理性(哲学)を完全に分離した

この決定的な分離は、両者を調和させようとしてきたスコラ哲学を終わらせ、信仰と理性はそれぞれ別々の道を歩むことになる

つまり、哲学は、経験にもとづく認識によって世界を説明するあり方を志向し、物理学や天文学といった観察と実験による近代科学を生み出すとともに、イギリス経験論へとつながっていった。

一方の神学=キリスト教は、「ただ信仰あるのみ」と主張するルターの登場により、宗教改革へ進むことになった。

こうした視点から見ると、ウィリアム・オッカムは、中世哲学を終わらせたにとどまらず、認識を知識の根拠とする近世哲学の舞台を用意したと言うことができよう

他ページへのリンク

目次