現代思想・現代哲学

目次

キルケゴール

キルケゴールが求めたもの

ヘーゲルの哲学では、人間の理性(認識)は世界(対象)をいかに捉えることができるかが問題にされた。

しかし、ヘーゲルの哲学のなかに現れる人間は、概念化された思考上の存在で、決して現実世界を生きる生身の人間ではなかった。

デンマークの哲学者セーレン・オービエ・キルケゴール(Soren Aabye Kierkegaard、1813-1855)は、そうしたヘーゲル哲学に対して、自分が直面している人生の問題には何も答えてはくれないという評価を下した。

なぜなら、キルケゴールは、〝この私〟自身がどう生きるかを問題にしていたからである。

そのため、キルケゴールは、22歳のとき、「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死ぬことを願うようなイデー(理念)を見出すことが必要なのだ」と考え、自分にとっての個別的・具体的な生き方を示してくれる「主体的真理」を求めていった。

その結果、人間は、絶望をきっかけに3つの段階を経て本来の生き方にいたると考えたのである。

その内容は、『死に至る病』のなかに記されている。

美的実存

「あれもこれも」というように、欲望のおもむくままに生きる段階である。

この段階が「美的実存」である。

しかし、ひたすらに快楽や欲望を追い求めても、決して満たされることはなく、倦怠(けんたい)や虚無感に襲われ、やがて自分自身を見失い、絶望することになる。

倫理的実存

快楽や欲望を追い求める生き方ではなく、「あれかこれか」と正しく選択し、良心的に生きようとする段階である。

この段階が「倫理的実存」である。

しかし、良心的に生きようとすればするほど大きな困難に直面し、その結果、自分の罪深さや無力さを痛感し、絶望することになる。

宗教的実存

絶望=「死にいたる病」を自覚し、人間という存在を根拠づける神の前にただ一人「単独者」として立ち、自分自身の全存在を賭けて関わろうとする段階である

この段階が「宗教的実存」である。

この宗教的実存においてはじめて、人は自分を確立し、本来の生き方に到達できるのである。

なお、ヘーゲルに代表される理性中心主義に対抗し、自分の主体的な生き方やあり方を追求したキルケゴールの哲学は、「実存主義」(existentialism)の先駆と位置づけられている。

なお、「実存主義」とは、〝今ここ〟にいる人間という「現実存在」=「実存」としての自分のあり方を追究する立場のことである

ヤスパースやハイデガーサルトルらが、実存主義の哲学者だとされる。

ニーチェ

ニーチェとは?

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900)は、現代思想・現代哲学に非常に大きな影響を与えた哲学者である。

悲劇の誕生』『ツァラトゥストラ』『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』『反キリスト者』『この人を見よ』など、多くの著作を遺した。

ニーチェは、父がルター派の牧師で、敬虔な家庭のなかで育った。

そのため、キリスト教道徳が説く誠実さを身につけたが、この徳に忠実だったニーチェは、逆にキリスト教道徳の〝ウソ〟を明るみにしたのだった。

キリスト教道徳は虚構である

ニーチェによれば、キリスト教道徳は、弱い者が現実の苦しみから逃れるための虚構にしかすぎないという。

たとえば、キリスト教は、〝貧しき者は幸いである〟とか〝富める者が天国へ行くのはむずかしい〟と説く。

そして、キリストを信じる者は、今この世では救われなくても、最後の審判によって、天国で永遠の生を得られるのだと言う。

しかし、これは、現実世界では服従するしかない「強者」(支配者=ローマ人)に対して、虐げられてきた「弱者」(被支配者=ユダヤ人)が、その立場を逆転させようと空想世界でつくりあげた復讐の物語である。

つまり、キリスト教道徳は、強者をはねのけることができず現実を受け入れられない弱者の恨み(怨念)=「ルサンチマン」にもとづく「奴隷道徳」だと、ニーチェは言ったのである。

ニヒリズム

キリスト教道徳が虚構であれば、それまで価値があるとされていたことの価値はなくなる。

そして、人びとの生きる目的や生きがいは失われる。

こうした状態を、ニーチェは「ニヒリズム」(虚無主義)と呼んだ。

ニーチェが生きた19世紀は、まさに、そのニヒリズムの時代なのであった。

超人

では、ニヒリズムを克服するためには何が必要か?

ニヒリズムは、キリスト教会が、本来は誰も立つことができない〝神の視点〟から道徳をでっちあげたことから起きた。

そうであれば、「神は死んだ」(誰も〝神の視点〟には立てない)ことを認め、新しい価値を創造していくしかない。

この新しい価値を創造する者を、ニーチェは「超人」と呼んだ。

永遠回帰と運命愛

超人は、より強くあろうとする「力への意志」に忠実で、超越的な価値に頼ることなく自力で生き、自身の生を肯定する存在である。

そのため、超人は、寸分たがわず何度も同じ人生が繰り返される「永遠回帰」に対して、「これが人生か、さればもう一度」と受け入れることができる。

ニーチェによれば、永遠回帰は、キリスト教の終末観に対するアンチテーゼであり、「ニヒリズムの極限形式」である

これを否定することなく肯定できるのは、永遠回帰という必然を引き受ける「勇気」によるという。

そして、この「勇気」による必然の引き受けを、ニーチェは「運命愛」と呼んだのだった。

マルクス

社会主義とは?

20世紀は「社会主義」の時代だったと言われる。

「社会主義」とは、土地や資本を所有する資本家が富を蓄積する一方で、劣悪な労働環境に置かれた労働者が貧困や病気、失業に苦しむという状況を生み出した「資本主義」の社会に革命を起こし、搾取や階級対立がない理想の社会をつくりあげようとする思想と運動のことである

ドイツの哲学者カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx、1818-1883)によって唱えられた。

共産党宣言』『経済学・哲学草稿』『資本論』など、数多くの著作がある。

疎外論

マルクスによれば、労働は、人間の本質である。

労働は本来、自然界に働きかけ、モノをつくり出し、人間の生活を向上させる。

また、労働は、たんに生活の手段であるばかりでなく、人間に喜びや生きがいを与える。

そして、そうした労働を通じて人間同士は結びつき、社会的に連帯する。

こうした人間のあり方を、マルクスは「類的存在」と呼んだ。

一方、資本主義社会においては、資本家は生産手段を提供し、労働者はその生産手段を使って商品をつくり、賃金を受け取る。

しかし、資本家は、設備投資などによって生産性を向上させ、余分に生産された商品の利益=「剰余価値」を自分のものにする。

これは、労働者の側からすれば、余分にタダ働きさせられていると言える。

つまり、労働者は「搾取」されているのであり、労働は資本家によって強制される行為になってしまっているのである。

このように、労働が人間にとって本来のあり方ではなくなってしまう状態のことを、マルクスは「(労働の)疎外」と呼んだ。

そして、労働者を疎外から解放するためには、革命による社会主義社会の実現しか方法はないと主張したのである。

唯物史観(史的唯物論)

マルクスによれば、革命は歴史の必然なのだという。

そのメカニズムは、こうだ。

まずマルクスは、生産手段や生産活動といった経済(生産様式)を「下部構造」と呼んだ。

また、政治や思想、宗教といった制度・文化を「上部構造」と呼んだ。

そして、下部構造が土台となって、上部構造としての社会制度のあり方を決めると考えた。

ところで、生産における人間関係である生産関係は、いったん構築されるとなかなか変化しない。

しかし、生産力が向上すると、その生産力(下部構造)と生産関係(上部構造)のあいだには矛盾が生じ、「階級闘争」(資本主義においては資本家vs.労働者)が起きる。

すると、下部構造が上部構造を規定しているのであるから、その矛盾や闘争は制度・文化を動かす力となってくる。

こうしたプロセスは歴史の必然であり、その結果、革命が起きる。

これまで人類は、原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義と変遷してきたが、矛盾を抱えた資本主義は革命によって、今度は社会主義、そしてさらには、その理想形である共産主義へといたる――

このようにマルクスは、生産力と生産関係の矛盾や階級闘争が革命を起こし、新たな社会(生産関係)への移行をもたらすと考えたが、彼のこうした歴史観を「唯物史観」もしくは「史的唯物論」と言う。

フロイト

フロイトの精神分析学とは?

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856-1939)は、オーストリア生まれの精神科医である。

ウィーンで開業医として神経症の治療にあたるなかで、「無意識」を〝発見〟した。

「無意識」とは、〝自分の心のなかにある、自分が知らない部分〟のことである。

フロイトが無意識を前提に構築した学問は、「精神分析学」と呼ばれる。

フロイトには、『精神分析入門』『夢判断』『自我とエス』『幻想の未来』など、数多くの著作がある。

錯誤行為、夢、神経症

フロイトによれば、無意識には満たされない欲望が「抑圧」されており、そうした欲望は抑圧から〝解放〟されようと、「錯誤行為」(さくごこうい)「」「神経症」(心の病)となって表れるという。

錯誤行為

「錯誤行為」とは、言い間違いやド忘れなどのことである。

会議を早く終わらせたい議長が開会時に「開会します」と宣言すべきところを「閉会します」と言い間違えてしまうようなことが例として挙げられる。

「夢」は、フロイトによれば、無意識のなかに抑圧された〝願望の充足〟である。

しかし、本来その願望は認めたくない(だから抑圧された)ものなので、心のなかでは「検閲」(けんえつ)が行われ、意識に上らないようにされる。

その一方で、願望は検閲をすり抜け、なんとか意識に上ろうとするため、「夢の作業」によって表現のしかたが変えられる。

つまり、夢の元の内容=「潜在思想」は検閲があるために「歪曲」された内容=「顕在内容」になるのである。

そのため、夢の内容は、本人にとっても不可解なものとなる。

神経症

「神経症」とは、身体や器官には異常がないのに身体症状を訴える心の病のことである。

抑圧された欲望や感情が行き場を求め、身体症状として表出されたのが神経症だとフロイトは考えた。

自我、超自我、エス

フロイトによれば、人間の心は、「自我」(エゴ)「超自我」(スーパーエゴ)「エス」(イド)から構成される。

「自我」(エゴ)とは、〝これが自分だ〟と思っているもので、心の主体である。

「超自我」(スーパーエゴ)とは、自我のなかにあって自我を監視し、自我に対して〝~であるべき〟という理想と〝~してはいけない〟という禁止を示す〝良心の声〟である。

「エス」(イド)とは、性的な衝動など、人間の活力源となる心のエネルギー=「リビドー」(欲動)の貯蔵庫で、「快感原則」に従って、ひたすら欲動を満足させようとする。

3者は、超自我が自我を統制する一方で、エスを抑圧し、自我が「現実原則」に従い、外界に適応できるようにエスを調整するという関係にある。

フッサール

フッサールの現象学とは?

エトムント・フッサール(Edmund Husserl、1859-1938)は、オーストリア領で生まれ、ドイツで活躍した哲学者で、「現象学」の哲学を打ち立てた。

彼の現象学の目的は、自然や世界だけでなく、人間の心ですら対象(モノ)として捉えようとする近代の認識論や心理学に対して、人間の生きた心のあり方に即して認識を解明することにあった。

現象学の理念』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』『イデーン』などの著作がある。

現象学的還元

私たちは日頃、見聞したものをそのまま受け入れ、疑うことはない。

つまり、自分の外部にモノがあるということを素朴に信じている。

フッサールは、私たちのこうした認識のあり方を「自然的態度」と呼んだ。

フッサールは、物事の本質を見極めるためには、この自然的態度を「超越論的態度」へ変える必要があると考えた。

そのために行なうのが「現象学的還元」という操作である。

これは、自然的態度による判断をいったん中止(「エポケー」)し、〝そこにモノがある〟という客観的な世界像を「括弧(かっこ)に入れる」ことである。

たとえば、〝目の前にイチゴがあるから、赤くてツヤツヤした丸っこいモノが見える〟という捉え方をいったんエポケーし、〝赤くてツヤツヤした丸っこいモノが見えるから、目の前にイチゴがあると認識(確信)する〟と捉えるのである。

すると、〝そこにモノがある〟という確信は、意識(主観)という場において体験が連なるなかで成り立つことがわかる。

本質直観(本質観取)

ところで、「赤くてツヤツヤした丸っこいモノ」はイチゴだけに限られない。

リンゴやトマトもそうである。

なのに、イチゴを見たとき、誰もがそれを「イチゴだ」と認識することができる。

リンゴやトマトと間違わない。

なぜか?

それは、意識においてイチゴに共通する性質=本質を観て取っているからである。

この働きのことを、フッサールは「本質直観」(本質観取)と呼んだ。

ノエシス、ノエマ

ところで、フッサールによれば、意識は必ずある対象に向けられているという。

このあり方を「志向性」と呼ぶ。

そのため、何かを認識するということは、意識が志向性によって対象を捉えるということであり、捉えられた対象はあくまでも意識のなかに生じるのである。

つまり、意識には、対象を捉えようとする能動的な側面と、その作用によって像が構成されるという受動的側面があるのだ。

フッサールは、前者の側面を「ノエシス」と呼び、後者の側面を「ノエマ」と呼んだ。

従来の認識論における主観と客観は、現象学においては、ノエシスとノエマに置き換えられるのである。

ベルクソン

ベルクソンとは?

アンリ・ベルクソン(Henri Bergson、1859-1941)は、実証主義的科学の立場を代表する「分析的知性」が、物質のみならず生命すらも物理的法則によって説明しようとしたことに対抗して、「生の哲学」を唱えた。

時間と自由』『物質と記憶』『笑い』『創造的進化』などの著作がある。

純粋持続

ベルクソンは、生命の本質を捉えるためには、対象を〝外から見る〟「相対的な知」ではなく、〝内から見る〟哲学的な知=「直観」が重要だと考えた

そして、この知を求め、『意識に直接与えられたものについての試論』のなかで、時間について探究した。

ベルクソンはまず、カントが〝内部感官の形式〟として捉えた時間とは、たんに〝数量化して計算できる時間〟〝時計で測ることができる時間〟にしかすぎず、それでは時間の本質は捉えられないと考えた。

カントのような〝外から見る〟捉え方だと、時間というのは過去、現在、未来が時間軸に沿って並び、現在を中心にして前後に「等質に」広がる空間のようなあり方となる。

しかし、私たちの意識が〝内から見る〟時間とは、二度と同じ状況になることがない無数の瞬間の「持続」であり、それぞれの瞬間は過去の記憶と未来への予測に浸透されている。

たとえば、1つの曲は個別の音の連続であるが、たんなる音の連続ではなく、相互に融合し、浸透しあった総体である。

そのため、同じ〝ド〟の音でも、その箇所のメロディーの調子や前後の音との関係などによって、それぞれに違う独自の響きとして私たちには聞こえる。

曲は、そうした音の連続のしかたによって成り立っている。

時間=〝瞬間の持続〟も、これと同じである。

このように直観によって捉えられた内的な時間のあり方を、ベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。

生命の跳躍(エラン・ヴィタール)

直観によって生命の本質を捉えようとするベルクソンの試みは、生物進化の分野にも及んだ

19世紀半ば、ダーウィンは『種の起源』を出版し、生物は常に環境に適応するように変化し、その結果、種が枝分かれして多様な種となっていくという「自然選択説」を唱えた。

これは、キリンを例とすれば、〝変異〟により首の長さが違うキリンがいたが、首がより長いキリンのほうが高いところにある葉を食べられるので、そうしたキリンが〝選択〟によって生き残り、首が長いという特徴が子孫に〝遺伝〟したという説である。

こうした進化論の考え方に対し、ベルクソンは、『創造的進化』のなかで、生物の進化は外的な要因に還元することはできず、生命独自の内的で「予測不可能」=自由な衝動こそがより高度な進化を促したと唱えた。

つまり、ホタテ貝の視覚受容器もヒトの眼球も、〝見よう〟とする衝動があったからこそ形成されたというのである。

このような、より高度な生物に進化しようとする内的な衝動を、ベルクソンは「生命の跳躍」(エラン・ヴィタール)と呼んだ。

ハイデガー

ハイデガーの哲学とは?

マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889-1976)は、フッサールが提唱した現象学の方法を用いて、〝〈ある〉とはどういうことか?〟と問う「存在論」を探究した。

ハイデガーは、人間がどのように存在するのかについて解明しないかぎり、人間以外の存在について知ることはできないと考えた

そこで、人間という存在について考察した書が、彼の主著『存在と時間』である。

ただし、公刊された『存在と時間』は、最初の構想の半分だけで、人間以外の存在を考察するまでにはいたっていない。

世界-内-存在

近代までの哲学では、モノ=存在は客観的なあり方をしており、人間はそのあり方をいかに正しく認識できるかということが問題とされた。

しかし、『存在と時間』において、ハイデガーは、存在のあり方は決して客観的ではなく、人間によって規定されていて、人間はその存在のあり方を規定する存在なのだと述べた。

こうした人間のあり方を、ハイデガーは「現存在」と呼んだ。

現存在は、朝起きてから夜寝るまでの日常生活のなかで、歯ブラシや箸(はし)、衣服、靴、車、机、パソコン……など、数多くの道具を使う。

そうした道具は、衣服や靴を身につけたり、きちんとした身なりをしたり、車に乗ったりするのは、会社へ行くため、また、机の上でパソコンを使うのは仕事の資料をつくるため……というように目的と手段のネットワーク=「道具連関」を形成している。

つまり、道具は、たんに〝客観的に〟そこに存在するというものではなく、現存在にとって意味のある連関なのである。

そして、現存在は、誰でも必ず、この道具連関のなかで生きている。

こうした現存在のあり方を、ハイデガーは「世界-内-存在」と呼んだ。

ところが、こうした現存在のあり方は、日常のなかに埋もれ、自分を何かの目的を達するための道具としてしまっている。

そんな自己は、道具であるがために、かけがえのない存在などでは決してなく、他の誰かと交換可能な存在にしかすぎない。

こうした道具化された交換可能な現存在のことを、ハイデガーは「ひと」(ダス・マン)と呼んだ。

死へ向かう存在

ハイデガーによれば、本来の自己了解は、「ひと」から脱することによってもたらされるという。

では、どうすれば交換可能な「ひと」から脱することができるのか?

それは、自分自身の「死への不安」に向き合うことによってであるとハイデガーは言う。

現存在は誰もが生まれた瞬間から「死へ向かう存在」であり、その死は交換不可能だ。

自分の身代わりに誰かに死んでもらうことはできるが、自分の死そのものを誰かに代わってもらうことは決してできない。

一方で、そうした絶対に交換不可能な死を迎えたとき、現存在は自己の存在を全う(「全体性」を確保)するという本来のあり方を成し遂げる。

ということは、現存在にとっての本来のあり方とは、自分自身の交換不可能な死を〝先回り〟して受け入れ、死という人生究極の可能性と向き合おうとする「先駆的決意性」を持つことなのである

死を意識して時間の有限性に気づくことによって、自分が「死へ向かう存在」だと自覚する――

それこそが、人間本来の生き方をもたらすと、ハイデガーは考えたのである。

サルトル

サルトルとは?

ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre、1905-1980)は、「3つのH」(ヘーゲルフッサールハイデガー)を出発点にしたと言われるように、ドイツ現象学の影響を強く受け、「実存主義」を唱えた。

サルトルの哲学における代表作は『存在と無』だが、『嘔吐』などの小説や『出口なし』といった戯曲も著した。

第二次世界大戦後の欧米や日本などで、数多くの読者を得た。

「実存は本質に先立つ」

サルトル哲学は、ハイデガーに倣い、人間とその他の存在者が異なったあり方をしていることを分析するところから始まる

サルトルによれば、事物や道具はただそこにある存在=「即自存在」であるが、人間のあり方は違うという。

つまり、人間は、たとえばペーパーナイフのように、〝紙を切る〟という本質が最初から決められているのとは違い、〝自分は机ではない、彼でもない、世界でもない〟というように自分自身へ意識を向け、規定していく存在=「対自存在」なのだという。

そして、対自存在としての人間は、即自存在のように完成してはいないため、常に自分の過去や現在を否定し、新たな自己のあり方をめざそうとする(「投企」)。

このように、現実に存在している自己=「実存」が先にあり、その自己が新たな自己=本質を後からめざしていく人間のあり方を、サルトルは「実存は本質に先立つ」と言い表した。

「人間は自由の刑に処せられている」

現実の自己が先行し、後から新しい自己をめざすということは、自己のあり方を自由に選び取ることができるということである。

つまり、サルトルは、人間は「自由」だと考えたのである。

しかし、自由だといっても、その選択はすべて自己の責任において行なわれる。

だから、こうした自由のあり方は、かえって苦痛に感じられる。

人間が置かれたこうした状況を、サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と表現した。

しかし、その一方で、私たち人間は、自由な決断に伴う不安を抱きながらも、行為によってしか新しい自己をめざすことはできない

そのため、サルトルにおいては、現実や社会へ積極的に参加(「アンガジュマン」)することが求められた。

実際、サルトルは、自身に課したアンガジュマンとして、ベトナム反戦運動やアルジェリア独立闘争に参加している。

それが、サルトルにとっての自由の表現方法なのであった。

メルロ=ポンティ

メルロ=ポンティとは?

フランス西南部に生まれたモーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908-1961)は、それまで西洋哲学において主題とされることのなかった「身体」を自身の哲学の中心に据え、その身体が、心身二元論において分け隔てられた精神と物質のどちらにも属する「両義性」を備えていることを、ありのままに捉えようとした。

それは、近代の哲学や科学が、人間を精神と身体とに峻別し、その2つを純粋な意識や物質へ還元するようにして分析していることへの批判であった

現象学の援用

メルロ=ポンティは、1942年に著した『行動の構造』において、生理学や心理学では、人間の「行動」や、その行動の起点となる「身体」、また、身体が世界と触れ合う経験である「知覚」を充分に捉えることができないと考え、「行動」「身体」「知覚」を捉えるための新しい理論が必要だと訴えた。

この新しい理論のためにメルロ=ポンティが援用したのが、フッサールが提唱した「現象学」であった。

メルロ=ポンティによれば、現象学とは、人間の知覚や科学が言葉や理屈によって築き上げる前の世界をそのままに言い表すための方法である。

その現象学によって、メルロ=ポンティは、画家が目の前の風景を一歩退いてありのままにカンヴァスに描こうとするように、〝哲学や科学によって構成された世界〟から一歩退いて、ありのままの「生きられた世界」を言い表そうとした。

身体図式、現象的身体、習慣的身体

メルロ=ポンティは、1945年に著した『知覚の現象学』において、人間は身体によって知覚することから、特に身体に注目し、それを詳細に分析した。

メルロ=ポンティによれば、 まず身体は、「客観的身体」と「現象的身体」に区別されるという。

「客観的身体」とは、身長、体重などの身体のサイズや、内臓・器官などの健康状態、そして、背筋力などの運動能力といった、測定や診断をすれば数値化できる身体のあり方のことである。

一方、人は歩いたり走ったり、ボールを投げたり蹴ったりするときに、個々の状況に応じて無意識的(「自然発生的」)に身体を動かしているが、そうしたことができるのは、身体がさまざまな感覚や運動を互いに結びつけ、1つの構造をつくりあげる機能=「身体図式」を持っているからである。

そして、さまざまな「身体図式」が習得されていき、網の目のように構造化されたのが「現象的身体」である。

また、習得されたさまざまな「身体図式」が習慣化されると、「習慣的身体」ともなる。

「習慣的身体」においては、たとえば、事故などで右腕をなくした人が、そのないはずの右腕に痛みやかゆみを覚えたり、まるで右腕があるかのようなリアルな感覚を覚えたりする「幻影肢」という現象があるが、メルロ=ポンティによれば、これは「習慣的身体」の誤動作である。

つまり、右腕を必要とする「身体図式」が習慣化されていて、簡単には消えないために、現実には右腕を失っていても、右腕を必要とする状況において、その(ないはずの)右腕を動かそうとすることから生じる感覚なのだという。

こうしたことは、身体が、物質に属するだけでなく、精神にも属していなければありえないことである。

このように、メルロ=ポンティは、身体は物質にも精神にも属する「両義性」を備えていると考えたのである。

「真の哲学とは、世界を見ることを学び直すことである」

こうしたメルロ=ポンティの考え方に従えば、従来の哲学が見落としてきた〝知覚の可能性〟が明らかになる。

たとえば、従来の哲学においては、人が目の前の1本の木を見るとき、高くて、よく葉が繁っていて、幹が太い……といった視覚的な情報だけを得ると考えられた。

一方、メルロ=ポンティの哲学においては、人はさらに、ゴツゴツとした木の表面の肌触りや、重厚な質感、長い年月を生き抜いてきた威風といった視覚情報以上のものまで、同時に〝見る〟(感じ取る)と考えられたのである。

しかし、現実には、人は何かを見ても、視覚的な情報しか認識しない。

それは、この世界に慣れ切ってしまっているからである。

だから、人は、視覚情報以上のものを感じ取るような〝見る〟あり方を取り戻さなければならない。

メルロ=ポンティによれば、その役割を果たすのが哲学なのである。

彼は、こう語っている――

真の哲学とは、世界を見ることを学び直すことである」(『知覚の現象学』序文)

ウィトゲンシュタイン

ウィトゲンシュタインとは?

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889-1951)は、オーストリアのウイーン出身の哲学者で、生涯「言語(言葉)とは何か?」「意味とは何か?」と問い続けた。

その哲学は、『論理哲学論考』(1951)に代表される「前期哲学」と、『哲学探究』(1953)に代表される「後期哲学」とに分けられる。

その後の哲学に多大な影響を及ぼした。

前期哲学:「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」

ウィトゲンシュタインによれば、哲学は言葉の使い方を間違えた結果、誤った問題=「形而上学的問題」に取り組んできたという。

彼は『論理哲学論考』のなかで、その誤りを正し、哲学の問題を解決しようとした。

そのためにウィトゲンシュタインが行なったのが、言語の(意味の)分析であった

彼によれば、言語(何かを語ること)には、有意味な言語と無意味な言語があるという。

たとえば、〝犬が犬小屋の中にいる〟と言ったとき、実際に犬が犬小屋の中にいるという事実を写し取っていれば、その文は意味を持つ。

言語と世界が対応している(「写像関係」にある)からである。

一方で、言語と世界が「写像関係」にない場合がある。

それが、人が倫理や宗教について語るときである。

〝善〟や〝神〟などと言っても、それに対応するものは現実にはない。

だから、そうした文は無意味である。

これは、言語と、その言語を用いる思考に限界があることを示している。

しかし、従来の哲学は、言語と思考の限界を超えて語ってきた。

つまり、哲学が語ってきたことは、無意味だということになる。

この誤りを正すには、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。

そうすれば、哲学の問題=「形而上学的問題」は解消されるのだという。

ただし、ウィトゲンシュタインは、〝だから「語り得ぬもの」自体が無意味である〟と言ったわけではない。

語ることができないことを語ろうとする従来の哲学が無意味だと言ったのであって、そのことによって、むしろ「語り得ぬもの」を明確に示そうとしたのである。

後期哲学:言語ゲーム

ウィトゲンシュタインの前期哲学は、経験的に検証可能な命題を有意味とする「論理実証主義」に大きな影響を与え、言語の(意味の)分析を重視する「分析哲学」と呼ばれる潮流を活性化させた

そして、哲学の方法を〝認識における主客の一致〟から〝言語の分析〟へと転換させた(「言語論的転回」)。

ところが、哲学界にそれだけの影響を与えたにもかかわらず、その後、ウィトゲンシュタインは、自分の考えが誤りだったと認めることになる。

それは、言語(言葉)は文脈のなかで使われてはじめて意味が確定されるのであって、言語自体をどれだけ分析してみても意味は確定できないということに気づいたからである。

弟子がまとめた『哲学探究』には、そうした視点から、ウィトゲンシュタインが言語について改めて考え直した際の文章や小論文が収録されている。

彼によれば、言語というものは、生活のいろいろな場面に応じて使われ方がさまざまに変わるとともに、そうした生活のあり方=「生活形式」に従って意味が確定するのだという。

ウィトゲンシュタインは、そうした言語の多様な働きを「言語ゲーム」と呼んだ。

たとえば、「赤いリンゴ5個」と書いたメモを果物屋の主人に渡せば、「リンゴ」と書いてある箱から(まだ赤くなりきっていない青味のあるリンゴではなく)赤く熟しているリンゴを「1、2、3、4、5」と数えながら選んで取り出してくれる。

一方、同じメモを渡しても、それが画家だったら、つやつやした赤いリンゴが5個並んだ絵を描くはずだ。

つまり、言語は、場所や状況に応じて意味が決まるのであり、具体的な日常生活の場面で活動と組み合わされて使われるということである。

そして、生活の場面によって活動との組み合わせはさまざまであるから、言語ゲームのルールは決して1つではなく、たくさんあることになる。

それは、たとえて言えば、テニスやチェス、トランプなど、ゲームにはいろいろあるが、それらすべてのゲームに共通するルール(本質)はなく、ボールを使う、盤上でプレイする、勝敗を競うなど、互いに似たような性質=「家族的類似性」だけを見ることができるのと同じである。

つまり、ウィトゲンシュタインによれば、言語ゲームは無根拠で、そこには本質がないのである。

こうしたウィトゲンシュタインの後期哲学は、意志よりも知性を重視する「主知主義」や、ものごとは必ず特定の性質から成り立っていると考える「本質主義」への大きな批判となった。

また、日常言語の分析は、それによって心身問題など哲学の伝統的な問題を解消しようとする「日常言語学派」形成の起点となった。

ソシュール

ソシュールとは?

スイス・ジュネーブ生まれの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857-1913)は、〝言葉と意味はどのような関係にあるのか?〟について研究した。

その成果は、たんに言語学における影響にとどまらず、現代思想にまで大きな影響を与えた

ソシュールは存命中、著作を1つも著わさなかった。

そのため、ソシュールがジュネーブ大学で行なった一般言語学に関する講義の内容を弟子たちがまとめた『一般言語学講義』(原著は1916年刊行)が、ソシュールの哲学を知るためには欠かせない。

シニフィアンとシニフィエ

日本語では複数の言葉で表すのに、英語だと1語で事足りる言葉がある。

たとえば、日本語で〝イネ〟〝コメ〟〝ゴハン〟は、英語では〝rice〟(ライス)1語である。

ソシュールは、言葉を1つの記号=「シーニュ」ととらえ、〝イネ〟のように音で表現される言葉の側面を「シニフィアン」、言葉の音が指し示す内容を「シニフィエ」と呼んだ。

これを敷衍すれば、〝イネ〟〝コメ〟〝ゴハン〟という「シニフィアン」にはそれぞれ別の「シニフィエ」があり、〝rice〟という「シニフィアン」には1つの「シニフィエ」しかないと言える。

つまり、日本語では3つの「シニフィエ」を指し示すのに、その3つを英語では1つの「シニフィエ」として指し示すのである。

この違いは、ある内容を表すための表現の区切り方は言語によってまちまちであり、「シニフィアン」と「シニフィエ」のあいだには、あらかじめ定まった結びつきはないということ=「言語記号の恣意性」を示している。

言語は示差的関係の体系

恣意性は、同じ言語内においても見ることができる。

たとえば、昔の日本においては、雪駄(せった)は草履(ぞうり)とは違うものとして区別されていたが、雪駄が人びとの生活のなかから姿を消すと、雪駄は草履の一種となった。

これは、草履が指し示す内容が拡大されたということであり、ある言葉がカバーする意味の範囲は他の言葉との差異によって決まることを示している。

つまり、言語とは、すべての言葉が他の言葉との差異によって成り立つ「示差的」関係の体系なのである。

ソシュールの思想の影響

西洋哲学においては、〝対象や概念を言葉がいかに正確に言い当てるか〟ということが重視されてきた。

つまり、たとえて言えば、あらゆる対象や概念に関する〝名前の目録〟のようなものが存在すると考えられてきたのである(「言語名称目録観」)。

その影響を受けた人びとは、〝イネ〟という言葉は〝イネ〟という確固たる存在を言い当てていると考える。

しかし、それでは、〝rice〟や〝雪駄〟の例で見たように、言語によって表現の区切り方が異なったり、その区切り方が変化したりすることを説明できない。

これに対してソシュールは、あらかじめ定まった対象や概念が言葉によって言い当てられるのではなく、言葉によって物事が分節されたあと意味や概念が成立すると考えたのである。

そうだとすれば、言語は、その言語特有の世界観を形成し、その言語を使う人びとの思考を規定していることになる。

日本語を使う私たち日本人は、日本語特有の世界観や価値観に規定されているということだ。

このことは、人間が言語体系という社会構造のなかに組み込まれていることを意味する。

こうした見方は、20世紀後半の思想界に大きな影響を与え、特にフランスで盛んになり、「構造主義」と呼ばれるようになった思想潮流の起点となった。

構造主義:レヴィ=ストロース、ラカン、バルト、アルチュセール

構造主義とは?

構造主義」(Structuralism)とは、〝社会や文化には、みずからが構成するシステムがあり、そのシステムが人びとを無意識的に規定している〟と考える思潮のことである。

ソシュールの言語学が広まったフランスで盛んになった。

代表的な人物として、クロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss、1908-2009)、ジャック・ラカン(Jacques Lacan、1901-1981)、ロラン・バルト(Roland Barthes、1915-1980)、ルイ・アルチュセール(Louis Althusser、1918-1990)が挙げられる。

レヴィ=ストロース

ブラジルで未開社会(無文字社会)のフィールドワークを行なった人類学者のレヴィ=ストロースは、『親族の基本構造』において、「インセスト・タブー」(近親相姦の禁忌)のあり方が部族によって異なっていても、そこにはある共通した構造を見て取れることを明らかにした。

たとえば、同じイトコでも、父方の兄弟や母方の姉妹の子どもとしか結婚できない部族がある一方で、母方のイトコとは結婚できるが父方のイトコとは結婚できない部族がある。

これに対してレヴィ=ストロースは、女性をみずからの集団にとっての〝贈りもの〟とみなせば、〝贈りもの〟となる女性を自分たちの集団のなかで妻とするわけにはいかないため、その女性は「インセスト・タブー」の対象になり、別の集団の男性と結婚せざるをえなくなるが、それによって、集団間の争いを回避でき、集団の永続的な存続が可能になると考えた。

つまり、各部族における「インセスト・タブー」は一見ばらばらに見えるが、構造に着目した見方をすれば統一的に理解でき、未開社会にも欧米に引けを取らないほどの合理的な構造があることを示したのである。

このようにレヴィ=ストロースは、その社会の成員ですら意識していない構造を明らかにすることによって、個人は社会の構造に規定されており、決して自由に行動できるわけではないことを示した。

そして、人間を自由な主体と考える実存主義の主唱者サルトルを批判した。

また、こうしたレヴィ=ストロースの研究は、みずからを進歩した優秀な文化と捉える欧米中心主義の考え方を否定することになった

ラカン

精神科医であったラカンは、フロイトの精神分析理論を構造主義的に解釈し、無意識における自我の構造を明らかにした

ラカンによれば、生後6ヵ月から18ヵ月の乳幼児は、身体的感覚の受容が断片的で(「寸断された身体」)、自分と他者を区別できないが、鏡に映った〝外部の自己〟=他者を見ることによって自己同一性を築くようになるため、自我は常に〝理想の自我〟を追い求め(「自己愛」=「ナルシシズム」)、他者(特に母親)からの承認を必要とするのだという。

このラカンの概念を「鏡像段階説」と呼ぶ。

そして、2、3歳になった幼児は、自分が母親の欲望の対象となることで自分の欲望を満たそうとする。

しかし、母親の欲望は、自分ではなく父親に向かっている。

このことに気づいた幼児の自我は、〝他者としての父親〟=「大文字の他者」を受け入れ、以後それに影響されることになる。

これは、フロイトが唱えた「エディプス・コンプレックス」の解釈となっている。

一方、ラカンは、以上のことを自我形成のメカニズム=「シェーマL」としても捉えた。

主体としての自己(S)は他者(a’)をベースに自我(a)を形づくっていくが、実は自己(S)や自我(a)の背後には、言語、神、文化、国家、経済システムといった「大文字の他者」(A)が存在し、大きな影響力を及ぼしている。

つまり、自己(S)や自我(a)は、外部の価値基準によって無意識のうちに認識や価値観を規定されているのである。

こうしたラカンの思想は、精神分析界のみならず、哲学・思想や文化論の領域にも大きな影響を及ぼした。

なお、ラカンの主著は『エクリ』だが、〝書く〟ことよりも〝語る〟ことを重視したため、著作をあまり遺していない。

バルト

文芸批評家であったバルトは、ソシュールの言語学をベースとする記号論を用いた分析によって、小説や広告、社会風俗、流行など、さまざまな対象に備わる構造を読み解いていった。

バルトの著書『ロラン・バルトによるロラン・バルト』によれば、彼の思想は4つの時期から成る。

最初の「社会的神話学」の時期において、バルトは、現代社会では記号表現=「シニフィアン」(例:AKB48)と記号内容=「シニフィエ」(例:アイドル)は不分離で自然なものに見えるが、このあり方を「神話」と呼び、「神話」が広告からプロレスにいたるまで見られるとした。

次の記号学の時期においては、ファッションに関する文章が〝カーディガン〟〝開襟〟など有意味なシニフィアンを用いながら、ファッション自体は暗示されるだけで、対応するシニフィエを持たないことを明らかにし、ファッションの文章を「シニフィエなきシニフィアン」と批判した。

続く時期においては、東京を対象として都市の記号論的意味を論じ、最後の時期においては、書物や楽譜、絵画、ファッションなどの「テクスト」にとって重要なのは、作者の意図を正確に理解・鑑賞することではなく(「作者の死」)、文化に固有のさまざまな「引用の織物」として読者が創造的に読解すること(「テクストの快楽」)であると唱えた。

こうしたバルトの言説は、文芸批評はもちろん、芸術論や文化論、カルチュラル・スタディーズなどに幅広い影響を及ぼした。

アルチュセール

20世紀半ばのヨーロッパでは、人間性の回復を求める社会風潮から、マルクスが前期思想において唱えた人間の「疎外」批判が評価され、〝疎外からの解放〟という人間主義的なマルクス理解が生まれた。

これに対して、マルクス主義者であったアルチュセールは、マルクスの前期思想と、資本主義経済の科学的分析を中心とする後期思想とを別の思想として捉え(「認識論的断絶」)、前期思想のみを評価することはイデオロギー的な人間主義思想を助長するだけであり、『資本論』に代表される後期思想にこそマルクスの真の価値があると唱えた。

そのうえで、アルチュセールは、マルクスの思想の再解釈を試みる。

マルクスは、経済的な土台=「下部構造」が、政治、宗教、文化、イデオロギーなど人間の意思や行為=「上部構造」を決定すると考えた。

しかし、それでは、社会変革までもが経済に規定され、人間の意思や行為が介入する余地がまるでないことになる。

すると、資本主義を社会主義・共産主義へ変革しようと主張する者たちは、不可能を可能だと偽り、人をだましていることになる。

これに対して、アルチュセールは、社会というものは経済や政治、イデオロギーといった複数のレベル=「審級」が総体として構造化されたものだと主張した。

たとえば、ロシア革命は、たんに経済的要因のみによって起きたのではなく、各審級独自の運動や発展のしかた=「相対的自律性」の働きによって起きたのである。

つまり、「下部構造」という1つの原因が「上部構造」という1つの結果を生み出すのではなく、「下部構造」と「上部構造」は入り交じって機能するのであり、1つの結果(できごと)は複数の原因によって決まると考えたのだ。

こうしたアルチュセールの考え方を「重層的決定」と呼ぶ。

このように、マルクスの思想を構造論的な因果関係で捉えなおしたアルチュセールの思想は、マルクス主義を再活性化させるとともに、「ポスト構造主義」に大きな影響を与えた。

なお、アルチュセールには、『マルクスのために』『再生産について』『資本論を読む』(共著)など、数多くの著作がある。

ポスト構造主義:フーコー、ドゥルーズ、デリダ

ポスト構造主義とは?

「構造主義」は、個人の思考や行為を規定する社会の構造を体系的に明らかにした。

その後、1960年代になると、同じフランスで、「構造主義」を批判的に引き継ぐ新たな思想の潮流が現れた。

この思想潮流は、〝「構造主義」のあと(ポスト)〟という意味で「ポスト構造主義」(Post-Structuralism)と呼ばれる。

代表的な人物として、ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926-1984)、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze、1925-1995)、ジャック・デリダ(Jacques Derrida、1930-2004)が挙げられる。

フーコー

自身を「歴史家」と呼んだフーコーは、〝真理などなく、あるのはいくつもの解釈だけで、それらがどのように形成されてきたかを調べれば、その虚構性を明らかにすることができる〟というニーチェの言葉に大きな影響を受け、数多くの史料を厳密に読み込む作業を通して、人間が時代や社会特有の枠組みに規定されていることを明らかにした。

たとえば、『言葉と物』という著作においてフーコーは、真理の探究が歴史を通じて連綿と続いてきたと思われているが、実はそうではなく、そうした見方は、その時代特有の問題意識や概念などの〝知の枠組み〟=「エピステーメー」に規定されていることを明らかにした。

また、近代の理性は社会から逸脱したものを「狂気」として封じ込めてきたが、それは、国民に対して、学校や工場、軍隊などを通して規律を内面化させ、規格化し、制御しようとする「生の権力」の都合によるものだと告発した。

同じことは、近代になって現れた性に関する規制についても言えるという。

性の歴史』という著作においてフーコーは、「性の歴史は、セックスに関する規範形成の歴史であり、監視と処罰による身体管理の歴史だった」と述べた。

そして、成人男女同士以外の性欲を「変態」と呼んだり、婚期を逃した女性を「ヒステリー」になると決めつけたり、性行為や出産の指導書を作成したりすること=「性言説」によって国民を管理しようとした近代における欲望の規格化を批判した。

ドゥルーズ

西洋哲学は、ものごとを、ある1つの視点から言葉によって言い当てようとしてきた。

その発想は、ものごとは変化しないという〝同一性〟の概念を前提にしている。

パリ第8大学の哲学教授を務めたドゥルーズによれば、こうした西洋哲学の考え方は、「ツリー」型モデルに基づいているという。

たとえば、デカルトは、『哲学原理』のなかで、形而上学を中心=〝幹〟にして、そこから数多くの学問が〝枝葉〟のように分かれていく学問の「ツリー」型モデルを提唱している。

これに対してドゥルーズは、新しい思考モデルとして、1つの中心を持たず、地中を自在に伸び広がり、さまざまな場所に生成の拠点を形成する根茎=「リゾーム」のような思考モデルを提唱した

つまり、ものごとをある1つの視点のみからではなく、複数の異なる視点から捉え、考えていく必要性を訴えたのである。

このように、〝同一性〟という概念を捨て去り、視点を自由に動かすあり方を、ドゥルーズは「逃走」と呼んだ。

また、ラカン派の精神分析家ピエール=フェリックス・ガタリ(Pierre-Felix Guattari、1930-1992)とともに著した『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』では、「欲望する機械」「器官なき身体」「スキゾ(分裂)分析」などの概念を提起しながら、資本主義の隠された姿を明らかにし、精神分析学の「エディプス・コンプレックス」に対する批判を土台にして、新しい実践を促そうとした。

デリダ

フランスやアメリカの大学で哲学教授として教鞭をとったデリダは、西洋哲学が、2つの項目を対立させる「二項対立」を軸として成り立ってきたことを見出した。

プラトンの「イデア/個物」をはじめ、「精神/物質」「自己/他者」「男/女」などが、その例だ。

こうした「二項対立」においては、〝イデア>個物〟〝精神>物質〟という不等式で表現できるような、後ろの項目よりも前の項目のほうが〝優れている〟という前提がある。

たとえば「イデア/個物」では、「イデア」は真の存在で、「個物」は「イデア」の模倣であるとプラトンは言っている。

しかし、実際に五感で存在を確かめることができたり、経験できたりするのは現実の「個物」のほうである。

一方の「イデア」は、その内容を規定することができない。

つまり、実は、前の項目のほうこそが後ろの項目から派生したもので、後ろの項目こそ前の項目が成立するための条件だと考えることができるのである。

それなのに、こうした「二項対立」が自然に受容されてきたのは、なぜか?

それは、西洋哲学が根拠なき独断をしてきたからだとデリダは言う。

その例は、論理や意味を何よりも優先する「ロゴス中心主義」、文字よりも音声を優先する「音声中心主義」、ヨーロッパこそが他の地域よりも優れているとみなす「ヨーロッパ中心主義」など、数多い。

このように、デリダは、西洋哲学の軸となる考え方であった「二項対立」が実は成立不可能であることを明らかにし、西洋哲学を無力化=「脱構築」しようとしたのである。

なお、デリダの著作には、『声と現象』『エクリチュールと差異』『グラマトロジーについて』などがある。

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