現代正義論をはじめて学ぶ人にオススメの入門書

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目次

正義論とは?

「正義論」とは、〝正しさ〟に関する考え方のことである。

古代以来、〝正しさ〟については、さまざまに論じられてきた。

たとえば、古代ギリシアのソクラテスと弟子プラトンは、〝正しい国家〟とは、統治者、防衛者、生産者が、それぞれの務めを果たし、互いに調和している国家のことであると考えた。

また、〝正しい人間〟とは、理性、意志、欲望が、互いに調和している人間のことだと主張した(『国家』)。

つまり、彼らにおいて、正義とは、国家や人間における「調和」のことであった。

プラトンの弟子のアリストテレスは、正義とは、ポリス(古代ギリシアの都市国家)の法や道徳、慣習に従い(全体的正義)、複数の当事者間で適正な配分を行なったり(配分的正義)、不公平を是正したり(調整的正義)することだと考えた。

時代が下り、近代になると、ベンサムに始まる功利主義が登場した。

功利主義は、〝正しい行為〟とは人びとの幸福を増やす行為のことであると考えた。

つまり、人びとの幸福を最大限に増やす行為こそがもっとも正しい行為だと唱えたのである。

ロールズ

原初状態

現代アメリカの政治哲学者であったジョン・ボードリー・ロールズ(John Bordley Rawls、1921/2/21~2002/11/24)は、功利主義に対して、社会全体の幸福の(平均的な)増大や社会構成員1人ひとりの「選好」(自分の体験にもとづいて選ぶこと)を考慮したとしても、その方法では少数者の権利が尊重されず、多様性が損なわれると批判した。

そうした批判をもとにロールズが1971年に著したのが、『正義論』である。

本書で言う「正義」とは、〝公正な分配〟のことである。

つまり、人びとの多様な生き方を認めるためには、特定の価値基準にもとづいて正義を打ち立てるのではなく、適正なルールや手続きの確立を優先し、自由や社会的機会、収入、富など人びとにとって共通して必要になるような「社会的基本財」が公正に分配されることが重要だとロールズは考えたのである。

ロールズは、具体的には、以下のように考えた。

まず彼は、社会を「相互利益を求める共同の冒険的企て」と規定し、私たち全員が「無知のヴェール」をかけられ、自分自身に関する情報を何も知らない状況にあると仮定した。

すると、私たちは、自分も他人も誰がどのような地位や役割にあるかわからないため、他人のことについて、まるで自分のことと同じようにとらえることができるようになる。

そして、何が自己の利益になるかがわからず、最悪の結果を生むことを避けたいという心理が働くため、公正な合意=真の正義を得られる状態が確保されるのである。

この状態のことを、ロールズは「原初状態」と呼ぶ。

正義の二原理

次に、ロールズは、真の正義を得るために、「正義の二原理」を提示する。

1つは、「平等な自由の原理」である。

私たち1人ひとりが基本的な自由を平等に分かち合い、他人の自由と両立可能であれば、その自由が最大限に認められるという原理である。

もう1つの原理は、上記の原理にもとづいても、なお社会的地位や収入などに不平等が認められる場合のものである。

この原理は、さらに2つの原理から構成される。

1つは、「公正な機会均等の原理」である。

社会的・経済的な不平等があったとしても、ある地位や職業に就く機会が誰にでも等しく開かれていれば認められるという原理である。

もう1つは、「格差原理」である。

社会的・経済的な不平等が許されるのは、社会のなかでもっとも恵まれない人びとに最大の利益をもたらす場合に限られるという原理である。

ロールズは、「原初状態」に置かれた人びとであれば、誰でも「正義の二原理」を承認する(承認せざるをえない)と考えたのである。

ロールズは、以上のような考え方にもとづき、個人の自由と権利を認めつつ、経済的・社会的格差が広がりすぎないように国家が社会福祉政策などで社会構造をコントロールすることを認めた。

こうした立場を「リベラリズム」(自由主義)と呼ぶ。

ロールズへの批判

ノージック

ロールズの正義論は、政治哲学の分野に大きな影響を与えた。

と同時に、多くの批判も投げかけられた。

代表的なのは、アメリカの哲学者ロバート・ノージック(Robert Nozick、1938/11/16~2002/1/23)による批判である。

ノージックは、〝自分の身体や才能は誰にとっても自分自身のものであり、それらを使って得た財産も自分のものである。だから、身体や才能、財産は、自分で自由に使うことができる〟と考えた。

すると、物を正しく所有するというのは、労働などの正当な方法で得るか(「獲得の正義の原理」)、公正な方法で譲り受けるか(「移転の正義の原理」)、どちらかの方法しかないことになる。

逆に言えば、上記2つの方法以外で物を所有すれば、それは不正であり、その物を元に戻さなければならない(「不正の矯正の原理」)。

こうした所有物(所有権や財産権)に関する正義の考え方を、ノージック自身は、『アナーキー・国家・ユートピア』のなかで、「権原理論」と呼んだ。

この考え方からすると、ロールズが唱える「格差原理」に従って、国家や社会が恵まれた人びとから財産の一部を取り上げ、それらを恵まれない人びとへ分配するというのは、容認しがたいことになる。

そのため、ノージックは、こうしたあり方は恵まれた人びとを恵まれない人びとの手段にすることであり、また、恵まれた人びとは正当な所有権がある自分の所有物や財産を自由に使うことができないため、国家や社会によって自由を侵害されると批判した。

また、ノージックは、国家というのは人びとの権利を保護することに特化した「最小国家」であるべきだと唱え、それを超えて財産の再分配を行なうような国家を「拡張国家」と呼び、批判した。

ノージックのように、個人の自由に至上の価値を認める立場を「リバタリアニズム」(自由至上主義)と呼ぶ。

アマルティア・セン

「リベラリズム」の立場に立ちながらも、ロールズを批判した学者に、センとドゥオーキンがいる。

アマルティア・セン(Amartya Sen、1933/11/3~)は、インド出身の経済学者にして哲学者である。

1998年には、アジア出身者にして初めてノーベル経済学賞を受賞している。

センは、「社会的基本財」を公平に分配することを重視するロールズの考え方に対して、財は自由を実現するための手段にしかすぎず、公正に分配されるべきなのは「ケイパビリティ」(潜在能力)であると主張した。

「ケイパビリティ」とは、人が何かを行なったり、何かを達成したりするための実質的な自由のことである。

つまり、ある人が〝価値ある生き方〟を追い求めるときに、どれだけ自由に選択できるかという〝生き方の幅〟のことである。

そして、「社会的基本財」というのは、そうした生き方を実現するための手段にしかすぎないと考えたのである。

ロールズが言うように「社会的基本財」が与えられても、その人が持つ障壁や障害のために、それをうまく活用できない、つまり、同じ「ケイパビリティ」を享受できないケースが起こりうる。

たとえば、国民全員に同じ額の生活保護費を支給しても、身体が弱くて医療費がかさむ人であれば、生活費に充てられる額は少なくなる。

つまり、社会的基本財を公平に分配しても、「ケイパビリティ」は平等にならないのである。

障壁や障害があっても誰もが同じように〝価値ある生き方〟の実現に向けた選択をできるようにするにはどうすればいいのか?――

これが、センにとっての正義である。

ドゥオーキン

ロナルド・マイレス・ドゥオーキン(Ronald Myles Dworkin、1931/12/11~2013/2/14)は、アメリカ出身の法哲学者・政治学者である。

ドゥオーキンのロールズ批判は以下のとおりである――

ロールズの「格差原理」は、その対象を「社会のなかでもっとも恵まれない人びと」として〝十把(じっぱ)ひとからげ〟にしている。
しかし、好みや志(こころざし)、望む生き方は人によって違うから、ニーズも人によって異なる。
一方で、生まれつきの才能に恵まれている人もいれば、障害を持って生まれてくる人もいる。
そうした人びとが人生の同じスタートラインに立っても、結果に差がついてしまうのは明白である。
このように人は十人十色であるから、その1人ひとりについて等しく配慮され、また尊重されることが必要である。
ロールズの考え方には、本来なら、この「平等な配慮と尊重」が必要なはずだが、それが欠けている。

こう批判したドゥオーキンは、「資源の平等」を唱えた。

「資源」とは、人生の目的を達成するために必要な財=〝健康、才能、所得〟などのことである。

ドゥオーキンによれば、資源は個々人の環境や状況に合わせて平等に振り分けるべきである。

たとえば、障害がある人は、資源が不足している状態にあり、それは個人の責任が及ばない状況であるため、その不足分を公的に補償する。

一方、ギャンブル好きな人がいくらお金が足りないと嘆いても、それは個人の責任であるから、資源の補償は行なわない。

この「資源の平等」を説明するために、ドゥオーキンは、「仮想的オークション」と「仮想的保険市場」という考え方を提示した。

「仮想的オークション」とは、貨幣を等しく分け与えられた人びとが人生設計に必要な資源を競り落とすオークションのことで、全員が納得し、他人をうらやむことがなくなるまで続けられる。

オークションが終わった時点で、「資源の平等」は達成されるが、その後の社会生活が始まると、格差が生じる。

このうち、個人の責任によらない格差に対しては公的な補償を行なうが、個人の責任による格差には公的補償は行なわない。

その代わり、「仮想的保険市場」を設け、保険に加入している者には、そこから補償する。

ドゥオーキンはこのように唱え、個人の状況に配慮し、格差を是正する範囲と方法を提示している点において、ロールズの考え方を発展させ、また、克服したと主張した。

サンデル

ロールズの考え方に対しては、人間を共同体(コミュニティ)のなかで生きる存在だととらえる「コミュニタリアニズム」(共同体主義)の立場からの批判もある。

その代表的批判者が、アメリカの哲学者マイケル・J・サンデル(Michael J. Sandel、1953/3/5~)である。

サンデルは、2010年にNHKで放映された「ハーバード白熱教室」で、日本でも有名になった。

そのサンデルが1982年に著した『リベラリズムと正義の限界』によると、ロールズが想定している人間というのは、社会的地位や性別、収入、生まれつきの資質や才能などが一切考慮されない孤立した者=「負荷なき自己」だという。

しかし、現実には、そのような自己は存在しない。

人間は本来、自分ひとりで生きる存在ではなく、誰かの親や子であったり、学校や会社の一員であったり、社会や国家の成員であったりという具体的な状況のなかで生きる「状況に位置づけられた自己」である。

人間は家族、親類、都市、社会階層、国家という共同体のなかで発展・成長するのであって、共同体が持つ価値から自由な者など1人としていない。

そのため、重要なのは、1人ひとりの〝多様な善〟ではなく、〝何が共同体にとって善いことか?〟と問う「共通善」なのだ――

サンデルは、そう唱えたのである。

マッキンタイア、テイラー

「コミュニタリアニズム」からの批判は他にもあった。

アリストテレスの徳論を現代によみがえらせたと評価された『美徳なき時代』の著者であるアメリカの哲学者アラスデア・マッキンタイア(Alasdair MacIntyre、1929/1/12~)は、人間というのは家族や社会のなかで特定の役割を担い、その役割をこなすなかで、善を求め、徳を行なうと考えた。

つまり、ある人がどのような道徳的行為をするかというのは、その人が属する共同体がどのような文化の伝統=歴史的文脈を持っているかということと不即不離だと考えたのである。

しかし、ロールズなどのリベラリストが前提する人間は、サンデルが「負荷なき自己」と評したように、歴史的文脈から切り離されている。

それでは〝善き生〟が得られない。

ある人にとっての〝善き生〟は、その人の人生に統一性をもたらす「物語」によって決まるのであり、その「物語」は共同体によってもたらされる――

そうマッキンタイアは考えたのである。

一方、カナダのチャールズ・マーグレイヴ・テイラー(Charles Margrave Taylor、1931/11/05~)は、リベラリズムにおいては、正義の原理は普遍的であるため、どのような共同体にも当てはまると考えられているが、共同体にはその共同体の伝統があるため、正義の内容は共同体によって異なると考えた。

そして、この観点から、それぞれの文化の伝統、特に少数の共同体の差異を重視する「多文化主義」を唱えた。

オススメの入門書

『アメリカ現代思想の教室』

本書『アメリカ現代思想の教室』自体は、2016年にドナルド・トランプがアメリカ合衆国大統領に就任したことをきっかけに始まった、アメリカにおける「思想のルール」の変化を概説した書だ。

その変化を分析するにあたって歴史をさかのぼっているのだが、そのなかで、ロールズとノージックによる「リベラリズム論争」と、両者を批判したコミュニタリアニズム(サンデル、テイラー)が取り上げられている(第1章、第2章)

教養として学んでおきたい哲学』『いま世界の哲学者が考えていること』など、数多くの哲学入門書を著している哲学者の岡本裕一朗氏による簡潔明快で平易な文章のおかげで、大変読みやすい。

最初にこの2章を読んでおけば、ロールズに始まる正義論の大きな流れを誰でも把握でき、後述の入門書に対する理解もグッと高まるはずだ。

『正義とは何か』

本書『正義とは何か』の著者は、ロールズ『正義論』の共訳者の1人であり、他にも、アマルティア・センやマーサ・C・ヌスバウムなど、正義論に関する著作や翻訳がある、現代正義論を専門とする神島裕子氏である。

その神島裕子氏が、ロールズ以降の6つの思想――リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、フェミニズム、コスモポリタニズム、ナショナリズムを解説している。

ロールズの正義論を基点に、いったんジョン・ロックやキリスト教の世界観、アダム・スミスへさかのぼり、その後、上記の各〝イズム〟がどのような批判や見解を示しているかをまとめ、最後に、私たち1人ひとりが「哲人市民」として、正義について考え、民主的に合意していく必要性を説いている。

内容が濃密で、むずかしく感じられる箇所も少なくないが、偏りなく明確に述べられている点で、現代正義論全体を俯瞰できる良質な入門書だと言えよう。

『ジョン・ロールズ』

本書『ジョン・ロールズ』の著者は、『平等ってなんだろう?』『不平等を考える』など、政治理論に関する著作が多い齋藤純一氏と、『ロールズの政治哲学』という著作がある田中将人氏である。

両者とも政治学者である。

この2人が、ロールズの著作の解説を中心としながら、彼の問題意識や理論の特徴、他の思想家からの影響などをふまえつつ、ロールズの正義論を描いている。

特に、ロールズが1993年に刊行した『政治的リベラリズム』は、『正義論』(1971)にくらべ現状肯定的になり、理論的に後退したと批判されてきたが、本書『ジョン・ロールズ』では、最近の研究成果をふまえながら、こうした批判を退けており、それが本書の大きな特徴となっている。

専門家以外の読者が読みやすいロールズの入門書は、これまでなかった。

ロールズの正義論をグッと身近にしたという点で、その価値はとても高い。

『ロールズ正義論入門』

現代正義論を学ぶのであれば、その基点となるロールズの『正義論』は必読である。

しかし、その内容は難解かつ膨大なため、簡単に読み進められるような代物ではない。

そこで必要となるのが、読解の手助けである。

本書『ロールズ正義論入門』は、その役割にうってつけの解説書だ。

著者で哲学者の森田浩之氏は、「はしがき」で、本書の目的を「わかりやすく『正義論』を日本の読者にお届けすること。第二に、『正義論』を哲学書として読みなおすこと。第三に、ロールズを擁護すること」と書いている。

本書『ロールズ正義論入門』を片手に、ぜひ『正義論』に挑んでみてほしい。

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