箱根の穴場的観光スポット「元箱根石仏群」
箱根は、日本有数の観光地です。
日本国内や海外から数多くの観光客が訪れます。
箱根のなかでも、特に数多くの観光客に人気の場所はいくつかありますが、その1つに元箱根があります。
元箱根には芦ノ湖遊覧船の港があり、箱根神社や東海道旧街道の杉並木などの観光スポットがあります。
そんな元箱根に、国の史跡に指定されながら、他の観光名所にくらべて人があまり訪れない、穴場的なスポットがあります。
「元箱根石仏群」です。
ここには、磨崖仏(まがいぶつ)を中心とした石仏や由緒ある墓が集まっています。
GWになる直前の4月下旬に行ってきたので、ご紹介します。
地獄のような風景の土地に根づいた地蔵信仰がベース
「元箱根石仏群」は、東海道における箱根越えルートの最高地点付近で、国道1号線沿いにあります。
箱根駅伝でいえば、往路5区、復路6区に該当します。
元箱根のほうから来た場合、駐車場は左手、箱根湯本のほうから来た場合は右手になります。
駐車場の真ん前には、「六道地蔵」というバス停があります。
ちなみに、バスで来る場合は、小田原駅か箱根湯本駅から箱根町行き(箱根登山バスもしくは伊豆箱根バス)に乗ります。
駐車場からは、人が1人歩けるくらいの幅の遊歩道を進んでいきます。
左手には精進池(しょうじんがいけ)が見えます。
やや荒涼とした景色です。
実は、この場所に石仏群が築かれたのは、一帯が険しい地形と荒涼とした風景であることから「地獄」と呼ばれて恐れられ、地獄へ落ちた人びとを救う地蔵菩薩への信仰の場となったからです。
鎌倉時代末期から室町時代前期にかけてのことです。
むかしは噴気が立ち上り、今よりも地獄っぽかったようです^^;
六道地蔵
しばらく進むと、右手にトンネルがありました。
国道1号線をくぐるようになっています。
トンネルのなかは真っ暗です。
ちょっとだけスリリングです♪
トンネルを抜けると、目の前にお堂が。
近づいて中を見ると……
いらっしゃいました!
「六道地蔵」。
多くの地蔵菩薩像がそうであるように、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っています。
けっこう大きいですね( ゚д゚)
蓮華座の上に座っている地蔵菩薩の像だけで3.2mの高さがあり、磨崖仏(まがいぶつ)の地蔵菩薩坐像としては国内最大級なのだそうです。
案内板によれば、1300年に完成とのことです。
白毫(びゃくごう:眉間の白い巻き毛)が、いい感じに光っています^^
表情は石が摩耗して明瞭ではありませんが、見る者の心を落ち着かせるような力を感じました。
なお、この地蔵菩薩坐像は、元箱根石仏群のメインキャラクターで、国の重要文化財に指定されています。
八百比丘尼の墓
遊歩道へ戻り、先へ進みます。
「八百比丘尼(やおびくに)の墓」が現れました。
案内板によれば、「八百比丘尼とは若狭国(福井県)の伝説上の女性で、八百年も生きたとされています」とのこと。
墓がつくられたのが1350年と書いてあるので、仮にその年に亡くなったとしても、800年生きたとしたら、西暦550年ごろの生まれとなります。
『日本書紀』によれば、ちょうど欽明天皇の治世で、百済の聖明王から仏教が伝えられた(仏教公伝の)時代になります (;゚ω゚)(゚ω゚;(゚ω゚;)
実際、八百比丘尼さんがそんなに長生きだったとは思いませんが、でも、実際に800年生きたら、人間どんな姿になってしまうのか……?
ルパン3世の映画に出てきたマモーみたいな感じ……!?
そう想像すると、震えてしまいます(笑)
応長地蔵
「八百比丘尼の墓」の向かいには、「応長地蔵」があります。
地蔵菩薩3体の磨崖仏です。
国の重要文化財に指定されています。
3体とも好好爺(こうこうや)のようです^^
そのなんとも穏やかな表情に癒されてしまいます♪
ちなみに、案内板によれば、この地域では身内に不幸があった場合、「応長地蔵の前で送り火を焚き、精進池畔で花や線香をあげ、霊を山へ送る『浜降り』(はまおり)と称する習慣がありました。そこからこの仏像は『火焚地蔵』(ひたきじぞう)とも呼ばれています」とのことでした。
多田満仲の墓
遊歩道をさらに進むと……
大きな石塔が見えてきました。
「多田満仲の墓」です。
多田満仲(ただ・みつなか)は源満仲ともいい、平安時代を生きた武士で、源頼朝の祖先です。
お墓はけっこうデカいです。
170cmあるぼくの背丈を基準に推測すると、3mはあろうかという高さです。
案内板によれば、「永仁四年(1296)に大和国の石工『大蔵安氏』により造られたと考えられています」とのこと。
大きいだけでなく、ずっしりとした重量感があり、高い功績を誇った武士の墓といった印象でした。
なお、こちらの墓も、国の重要文化財に指定されています。
二十五菩薩
さらに遊歩道を進んでいくと、ゴツゴツした岩場に行き当たりました。
近づいて見ると、地蔵菩薩立像が何体も彫られています!
小さいのは20cmくらいのものから、大きいのは1mくらいのものまで、全部で25体彫られていることから「二十五菩薩」と呼ばれています。
繊細な彫りで、その姿は凛々しく感じられます^^
1293年から彫られはじめたものですが、鎌倉時代というむかしに彫られたものにしては、修繕があったとしても、保存状態はよいと思います。
「六道地蔵」と同じく、元箱根石仏群のメインキャラクターとなっています。
なお、こちらの石仏群も、国の重要文化財に指定されています。
曽我兄弟・虎御前の墓
遊歩道をさらに進むと……
「多田満仲の墓」に匹敵するほどの大きさの石塔が3基現れました。
「曽我兄弟・虎御前の墓」です。
左の2基が曽我兄弟の墓。
いちばん右が虎御前の墓です。
曽我兄弟というのは、『曽我物語』のなかに描かれ、歌舞伎の題材にもなっている「曽我兄弟の仇討ち(あだうち)」の「曽我兄弟」のことで、1193年に源頼朝が行なった「富士の巻狩り」に乗じて、父の仇(かたき)である工藤祐経を討った兄・曽我十郎祐成と弟・五郎時致のことです。
兄弟は父の仇を討つことはできましたが、兄・十郎はその場で討ち取られ、弟・五郎は捕らえられ斬首されました。
兄・十郎は22歳、弟・五郎は20歳だったそうです。
一方、虎御前は、兄・祐成の妾(めかけ)です。
案内板によれば、「向かって左の塔の水輪には宝珠を持つ地蔵菩薩が、中央の塔の水輪には合掌する地蔵菩薩が彫られていることからも、地蔵信仰に基づいて建てられたことがうかがえます」とのこと。
建てられたのは、1295年だそうです。
兄弟の墓を前にすると、仇討ちとはいえ、若くして命を絶たれなければならなかった2人の胸中につい思いをいたしてしまいました。
なお、これらの石塔のうち、虎御前の墓が国の重要文化財に指定されています。
まとめ
元箱根石仏群めぐりは、ゆっくり歩いても、30分ほどですべて見ることができるお手軽なコースです。
しかし、お手軽なわりには、貴重な石仏や墓を見ることができたり、むかしの人々の願いに思いをはせることができたりして楽しめます。
石仏ファンや歴史ファンならずとも、箱根観光の際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
*この記事は、主に「箱根町観光協会公式サイト 箱根全山」の記事「元箱根石仏群」と「箱根温泉 箱ぴた」の記事「国史跡『箱根石仏群めぐり』で歴史を体感しよう」を参考にさせていただきました。