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山梨県には一風変わった地蔵がいる
ぼくが住んでいる山梨県には、一風変わった地蔵が何体かあります。
デカい岩の上に頭だけちょこんと乗っかったスタイルの地蔵です。
どの地蔵も「こんなの見たことない!」というくらいユニークで、インパクト大。
夏真っ盛りの猛暑日、そのうちの4体を見てきました。
合羽地蔵
最初に行ったのは、甲府市の青松院(せいしょういん)。
すぐに目に入ったのは、最近建て替えたらしいきれいな本堂です。
で、〈地蔵はどこかな?〉とさがすと、3秒で発見。
本堂手前左にいらっしゃいました。
地蔵の横には、青松院の由来を書いた案内板があり、そのなかに地蔵についても説明書きがありました――
本堂前に安置されている石地蔵は、「合羽地蔵」といわれています。自然石の上に人工の顔をのせた石仏は、塩沢寺のものと同じ形式ですが、合羽を着たようでユーモラスです。
言われれば、たしかに合羽を着ているように見えます。
積年の風化の影響で、顔の彫りが浅くなっていますが、地蔵らしい優しい表情でした。
合掌(-人-)
たんきりまっちゃん
次に向かったのは、青松院から車で5分ほどの塩澤寺(えんたくじ)。
青松院の案内板の説明書きにもあったお寺です。
808年創建だそうで、山門の佇まいに歴史の重みを感じます。
長い階段をのぼりきった先にある地蔵堂の裏手に墓地があり、そこにめざす地蔵はいらっしゃいました。
名前は「たんきりまっちゃん」。
たんやせきの痛みに苦しむ人が祈願のために造ったと伝えられていますが、はっきりしたことはわかっていないそうです。
圧倒的な不安定感。
だいぶ右に傾いています。
傾いているのは、横方向だけではありません。
前方向にも傾いています。
大きな地震が起きたら首が落ちてしまうのではないかと心配になるのは、ぼくだけでしょうか。
顔は個性的です。
鼻が異様にデカい。
それでいて親しみを感じさせる顔です。
こういう顔の人、むかしどっかの居酒屋で見たことあるなぁ。
たんきりまっちゃんは、いつも甲府の街を見守っています。
石地蔵
次に向かったのは、塩澤寺から車で10分。
「子供の国入口」の交差点から小道を少し南下した路傍に安置された「石地蔵」です。
第一印象は、デカい!
これまでの2つの地蔵にくらべると、かなりの大きさです。
隣接する熊野権現神社の案内板を見ると――
なお、隣に鎮座する石地蔵は宝永四年(一七〇七)の建立、身の丈は二丈八尺七寸六分(約八m七十cm)の大石仏です。熊野神社と共に大切にお祀りしています。
8メートル超え!
この大きさの地蔵は、他ではなかなか見られないでしょう。
顔は、合羽地蔵と同じく、お地蔵さんらしい優しい表情です。
そして、その優しい表情と巨大な胴体とのアンバランスさが独特の雰囲気を醸し出していて、一度見ると忘れられないくらいの強いインパクトがありました。
首地蔵
最後は、山梨市にある「首地蔵」です。
甲府盆地に点在する〝巨大石地蔵〟のなかでは、もっとも有名です。
石地蔵から車で30分はかかったでしょうか。
西関東連絡道路から県道31号線に入り、西へ向けてしばらく走ると、突如道ばたに首地蔵が現れます。
半ば道路にはみ出した位置にドテっと鎮座ましましています。
何も知らないで出くわしたら、「なんじゃ、こりゃー!?」と驚くこと必至です(汗)
ひと言で言うと、ジャマ(大汗)
〈なぜこんなところに?〉と疑問に思いましたが、地蔵の脇の案内板を読んで納得しました――
昔、大雨が続いて山の地盤がゆるみ、大きな土砂崩れが起きて中組の数軒の家々をつぶしてしまった。その時に転落してきた大きな岩の下敷きになって御子守さんの娘が背負った赤ん坊とともに死んだ。一説によるとその娘はオミヨという一二才の少女であったという。それ以来村の赤ん坊がひどい夜泣きをしたり何かにおびえるようになって娘の霊が祟っているとうわさされた。落ちてきた大岩からも夜になるとすすり泣きの声が聞こえてきたという。そこを訪れた旅の僧が、娘の慰霊のために石を彫って地蔵の首を作り、巨岩の上に乗せて供養をしたところ赤子の夜泣きがすっかりおさまった。それ以来村人たちは首地蔵に香華をささげて供養を怠ることがなかったという。
ある時、道路が拡張されることとなって、首地蔵の巨岩が邪魔になり、岩を割って撤去することとなった。石屋が岩に穴を開けたところその石屋は家に帰った後高熱を出して苦しんだ。娘の霊が祟っているということになり、工事は中止されて今でも地蔵は道路端に残され、岩が道路に少しはみ出たままになっている。またこの岩はもとは道路の反対側にあり、道路の舗装工事の際に現位置に動かしたところ事故が起きて工事人夫が大怪我をしたとも伝えられている。
石屋と工事人夫のお2人は、とんだ災難でした(汗)
首地蔵を横から見ると、岩の大きさがよくわかります。
こんな岩の下敷きになれば、オミヨと赤子どころか、大の大人でも命を落としてしまうでしょう。
だいぶ風化していますが、彫りの深い顔立ちです。
輪郭は長方形。
同行していた妻が「モアイみたい」と言っていました↓↓↓
たしかに似てる。
首から下の部分が白くなっているので見てみると、「南無延命地蔵」と書かれた白い紙が貼りついていました。
風雨でボロボロになっていましたが、いまだ首地蔵が信仰されているのがよくわかりました。
*この記事は、「珍寺大道場」の記事「万治の石仏と首地蔵/長野県」と『道ばた仏さんぽ』(半田カメラ著)を参考にさせていただきました。